ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

野橋太郎

のはしたろう

みちのくプロレスに所属している男性プロレスラー(※メインイラストの左端にいるスキンヘッドの人物)

概要編集

兵庫県神戸市垂水区出身。高校卒業後は渡米し、2002年5月にメキシコでルチャ・リブレのレスラーとしてデビュー。帰国後は闘龍門の9期生として入門し、新井健一郎をモチーフとした新井小一郎として活躍。新井の弟というギミックで新井の母親も呼んで闘龍門にも登場した。後に新井注一郎というもう1人の兄弟が登場して兄弟トリオを組んでいた。


闘龍門解散後は新崎人生からの誘いでみちのくプロレスに入団。今度は新崎のミニ版というギミックで登場し、実際に弟子入りし付き人も務めた。人生のムーブを完璧にコピーするのと併せて小柄な体格ならではの軽快な動きを駆使して人気を博した。人生との直接対決を実現させたが敗戦し、メキシコに再修業に出た後にフジタ"Jr"ハヤトと共にみちのく復帰を果たす。


2010年にリングネームを本名「野橋太郎」に改名。現在もみちのくプロレスを中心に活動しており、みちのくプロレス専属キャラクターレスラー「かめっしー」としても活躍している。

そのほかにも入団したての練習生や新人レスラーの教育指導も担当している。


三中元克との関係性編集

2014年にめちゃイケのコラボ企画として当時めちゃイケメンバーだった三中元克がみちのくプロレスに参加し、野橋本人は三中をレスラーとしてデビューさせる為の指南役として活動した。


当初、野橋は「テレビ番組どうこうとかは関係なく、新人が来るのは嬉しいですね。(新人が)来ては辞め、来ては辞めだったんですけど、新人というのは僕ら自身の刺激になるので、新人を育てることによって、団体(みちのくプロレス)の未来もみえてくるわけですから」とめちゃイケの番組スタッフに語り、三中にも親身に接しながら指導していた。


しかし、当の三中本人は企画に対してやる気など全く無く、自主トレーニングにおいても膝を着きながら腕立て伏せをしたり、腹筋も足を持ちながらでいい加減なやり方の練習に終始し、本気で打ち込めていなかった。その結果、入団試験は案の定不合格に終わり、それでも三中にはもう一度チャンスが与えられたが、野橋からは「俺はお前が三ちゃんだろうが、めちゃイケから来てるメンバーだろうが関係ないから。それでこれからはより、お前に対しての見る目も厳しくなるから。生活態度や練習に対する態度だってそう。今までのやり方でダメだったんだから、それ以上に厳しくするしかないじゃん」と叱責し、それ以降野橋の指導方は180度変わりより厳しく指導するようになる。


しかし、その後も三中はプロレス企画に対してやる気が起きず消極的であり、野橋が三中に対して厳しく指導しても三中は更に卑屈になり、それを野橋が叱責すれば更に三中がより卑屈になる悪循環に陥っており、野橋から与えられた過酷なノルマを三中が辛うじてクリアしてもろくに褒められないばかりか「おせぇんだよ!」と厳しい言葉を浴びせるばかりだった。


その結果、企画開始から3ヶ月経ったある日、遂に三中と衝突し、そのまま三中は脱走。企画は一時中止となった。それでも当初は三中は同じメンバーでもあるジャルジャルや、めちゃイケのコーナーに出演していた先輩レスラーマッスル坂井からなどのフォローを受けた事から再度奮起。再びみちのくプロレスに足を入れた三中は自らみちのくプロレスの試合に出向き、謝罪すると同時に野橋からは先のプロレス企画から逃げた件を咎められてから、これから更に経験する辛い事を乗り越えてプロレスラーになる覚悟があるのかと改めて問われた三中は、大勢の観客が見守る中で「はい!あります!」と返答。みちのくから脱走した件を人生社長や野橋達に謝罪しながら「二度と逃げない」と約束し、その覚悟を受け止めた野橋から禊のビンタ一発を浴びせられる。そして「次は許さないからな」と念押しされた上で、もう一度企画に挑戦する事を許された。


それ以降、三中はひたすら真面目に練習に取り組み、その様子を見た野橋自身も多少は優しくなり、マンツーマンでひたすら練習に取り組む日々が続いた。それから1ヶ月の後に再度入団試験が行われ、厳しい試験科目の中、三中は駆け付けためちゃイケメンバーの応援の甲斐もあり無事に合格。晴れて練習生となり、プロレスラーとしての第一歩を踏み出した。


しかし、それから半年後の7月に三中は再びみちのくプロレスから脱走してしまった。

その原因は多々あるが、1番の原因は企画の過酷さに耐えられなかった事誰も注目されなくなった寂しさ等が挙げられた。そして、極め付けは芸人になりたいという番組加入前から抱いていた夢を叶えたい為に自ら脱走を選んだという。


それでも、めちゃイケサイドはなんとか再三みちのくプロレスに復帰させようと試みたものの、三中の一方的ともいえる裏切りや身勝手極まる不義理に激怒した野橋は「アイツは(『もう逃げない』って)リングの上で交わした約束を平気で破りやがったんだぞ! その挙げ句にプロレス放っぽって、お笑い(芸人を目指すの)かよ!? ふざけんじゃねぇよ!」と三中の言い分を一切否定した上で「こんな舐めた真似をする奴はもうプロレスラーとして信用できないし、そもそもなる資格すらない! そちらさん(めちゃイケ)がいくら連れ戻そうが、謝らせようが、俺はもうアイツを許すつもりはないし、ましてや何も教えてやるつもりもない!」と、遂に三中を完全に見限り、指導役から降りることを宣言。


一方の三中もみちのくプロレスへの復帰は一切無く、もうやりなくないの一心ばかりで、周囲からの説得も断固として拒絶。結果的に野橋、三中共に関係の回復の目処が立たなくなったことから、それから間も無くして企画は正式に打ち切りとなり、三中のプロレスラーデビューの夢は御破産となり、野橋にしてみても、約一年もの時をかけて指導してきたことも全て無駄になるという、とんだ骨折り損な結果に終わった。


当然、この野橋や人生、そしてみちのくプロレスへの恩知らずにも程がある不義理や、番組が用意した企画を勝手に放棄し、お蔵入りにした行いが原因となり、三中はめちゃイケからも非難され、それまで良好を保っていたメンバーやスタッフからは白い眼差しで見られる様になり、最終的にめちゃイケには不必要と看做され、翌年2月に「卒業」という名目で事実上降板させられることとなった


その後、お笑い芸人として再スタートした三中は初めての芸人としての仕事でみちのくプロレスの試合におけるMCの仕事であった。

そして、試合終盤に三中をリングに呼びつけた野橋は、プロレス企画が打ち切られて以降、トレーニングを辞め、企画中抑制されてきた鬱憤を晴らすかの如く、連日連夜知人・友人達と趣味の食べ歩きや、飲み会や合コンに明け暮れるなど不摂生な生活を続けたことで、半年しか経っていないというのにすっかり企画を始める前の体型に戻ってしまった三中の体型を見て、「なんだそのだらしない身体は…? 俺が1年近くお前を鍛えてきたのは、一体なんだったんだよ…?」と呆れ、「2度目の脱走の際は、失望したというよりは凄く悔しかったし、なにより悲しかったよ…。『もう逃げない』って言ったお前の言葉を信じて、指導してきた俺達の期待が見事に裏切られたんだからさぁ…」「ウチを逃げ出したのは何もお前だけじゃねぇけどよ…まさか何の挨拶もなしに、勝手に全然別の世界の敷居跨ごうとしていた…なんてふざけた真似しやがったのはお前が初めてだよ」と三中に対する複雑な心中を打ち明ける。


それでも野橋は三中がお笑いに対しては全力に取り組んでいることは認め「お笑いをやると決めたのはお前自身なんだ。この先どんな困難がお前を待ち受けているかは分からないが、これはお前が行くと決めた道なんだから、今度はもう簡単に逃げたりすんじゃねぇぞ」と激励。

三中も涙ながらに「皆さんの期待を裏切る様な真似をして、本当にすみませんでした……」と謝罪し、最後は野橋、そして人生社長と固いハグを交わした。最終的に三中への制裁は、一回目の脱走騒動の時と同様にケジメのビンタを一発だけ浴びせる事で手打ちとした。


その後、野橋と三中との関係性はある程度は回復し、現在はイベントにも呼ばれる機会もある。


後に彼はインタビューにおいて、自分の厳しすぎる指導が三中を二度の脱走に至らせてしまった要因のひとつであると同業者から批判的な声が相次いだ事を認めたうえで、「あの時の自分のやり方(指導)は、三中の心に寄り添えているとは言えなかった」「もう少し深く心を通じ合わせていたら、彼を二度目の脱走へ至らせる事もなかったかもしれない」と反省する一方、「プロレスというものは常に死と隣り合わせになる程の危険な競技であり、レスラーを志望してきた者達がそういう世界に入り込んだ以上、自分達はその者達に対して責任を持ってレスラーとして育成していかなければ、生死に関わる危険もある。だからあの時の自分としては三中に対し、あの様な厳しい指導をするしかなかった」とコメントしている。

また、この一件は、野橋だけに留まらず人生をはじめとするみちのくプロレス関係者にも『バラエティー番組が求めるエンターテイメント性と、プロレスの危険さ』との線引加減の難しさを大いに考えさせるきっかけとなったようで、みちのくプロレスではこの騒動以降、タレントの卵を含めた一般人からの事前の了承も得ずにプロレスラーとして育成させる等の、プロレスの危険性を軽視したバラエティ番組の企画に対しては、一切引き受けない方針を示している。


その上で野橋は「目の前から逃げることは許されないが、自分の夢を諦めるのはもっと許されないものだ」と三中のように自分で決めた憧れや夢を捨てずに芸人の道を歩み続けていることに関しては決して悪くないと説き、一連の騒動について一時は完全に愛想を尽かした時期もあったものの、現在では「あれもお互いに良い思い出になった」とひとつの“人生経験”として認めている。

関連記事

親記事

みちのくプロレス みちのくぷろれす

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました