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十河一存

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そごうかずまさ

十河一存とは、四国地方の戦国武将。室町幕府において実権を握りつつあった兄・三好長慶の元、その武勇をもって勢力拡大に尽力。「鬼十河」などの異名でも知られる。(1532年-1561年)

概要

生没年:天文元年(1532年) - 永禄4年3月18日(1561年4月2日)

官途:民部大輔、讃岐守

父:三好元長、十河景滋(養父、存春とも)

兄弟:三好長慶三好義賢(実休)、安宅冬康(以上、いずれも兄)、野口冬長(弟)

妻:九条稙通養女

子:十河重存(三好義継)、十河存之、十河存保(養子、三好義賢次男)

阿波・讃岐に勢力を有する三好氏の一門の一人。幼くして讃岐の国人・十河氏に養子入りし、長じてからは他の兄弟達ととも長兄・三好長慶の勢力拡大を、主に軍事の面で支え続けた。

その武勇の高さは既に同時代より広く知られており、「鬼十河」や「夜叉十河」などといった異名も伝わる。戦の最中に腕を負傷しながらも、一旦陣地に戻って傷口に塩を塗り込み、藤の蔓を巻いてすぐさま戦線に復帰したという逸話はその最たるもので、こうした戦いぶりから家臣たちからの信望も厚かったという。

一存にまつわる事柄として、「十河額(そごうびたい)」の存在も挙げられる。これは一存が、月代を四角く大きく剃りあげるという一風変わった髪型をしていた事に由来するもので、時期は不明だがこの髪型がやがて「十河額」と呼ばれるようになり、強さの象徴として家臣をはじめ周囲の武将たちも真似するようになったという。

実際のところは一存は肌が弱く、兜で頭が蒸れるのを防ぐためだったともいわれるが、一存が没してから百年近くが経った、徳川家光の治世においても若い武士達の間で「十河額」が流行したという。

生涯

讃岐に勢力を有する阿波細川家家臣・三好元長の四男として阿波勝瑞城にて生を受ける。幼名は又四郎。一存が産まれて間もなく、父の横死により傾きつつあった三好本家の地盤固めを図る意味合いなどもあり、当時嫡子の早逝によって断絶の危機にあった讃岐の名族・十河氏の元に養子として入り、後にその家督を継承した。

その後、長兄の長慶が細川晴元の家臣として名望を高め、やがて晴元と対立するようになると、天正18年(1549年)に発生した江口の戦いでは、主君である晴元を討つのに逡巡していた兄に業を煮やし、独断に近い形で先陣を務め長慶方の勝利に貢献。またこの時長慶に容れられなかったものの、逃亡する晴元を追撃し討ち果たすべきと強く進言したと伝わっている。

この勝利により、長慶や細川氏綱を中心とした政権が確立すると、一存も次兄・義賢や三兄・冬康らと同様に三好政権の勢力拡大に尽力するようになる。翌年には早くも京都奪還を狙う晴元方の動きを阻止(東山の戦い)、また天文22年(1553年)には、三好氏と対立関係に転じていた阿波細川家当主・細川持隆を、次兄の義賢が阿波見性寺にて自害に追い込む事件が発生している(勝瑞騒動)が、この一件にも一存が関わっていたとされるなど、三好氏のお膝元である四国方面の支配強化にも努めた。

永禄3年(1560年)、河内守護の畠山高政との合戦に勝利した後、長慶より岸和田城主に任じられ、和泉方面の支配を担う事となる。その後も畿内各地を転戦し数々の戦功を上げていた一存であったが、翌永禄4年(1561年)の春に病を患い和泉にて急死。享年30。死因については瘡の悪化によるものとされる。

一存の急死については、予てより不仲であった三好氏重臣・松永久秀の関与が、既に当時から噂されていた。『足利季世記』などの記すところによれば、永禄3年頃に病を得た一存は、摂津の有馬温泉で久秀とともに湯治中に、久秀から自身の愛馬を指して「有馬権現様は葦毛を好まないので、その馬には乗らないほうがよろしい」と忠告を受けたが、久秀をひどく嫌っていた一存はこれを無視して乗馬し、結果馬から落ちて死亡したという。

もっともこの逸話については、前述の通り死因・死亡時期共に明らかな齟齬がある事、また乗馬にも長けていたであろう一存が落馬するものだろうか、そもそも病を得ていた一存がわざわざ乗馬するのだろうか、といった疑問も呈されている。昨今進められている久秀の人物像についての見直しと同様に、この逸話についても再検討の余地は十分にあるだろう。

いずれにせよ、和泉方面の抑えを担っていた一存の早すぎる死は、三好氏の軍事面での弱体化だけでなく、一旦は沈静化していた畠山氏の反抗を再度活発化させる契機ともなった。そして翌永禄5年(1562年)まで続く両者間の激しい抗争と、それに伴う三好一門の有力者の相次ぐ死去、ひいては隆盛を極めていた三好政権の衰退にも繋がっていったのである。

余談

信長の野望シリーズでは、戦闘能力が低めに設定される事が多い松永久秀などとのバランスをとる為なのか、おおむね見事なまでの脳筋パラメータを割り振られている。

また、彼の代名詞である「十河額」が長らくグラフィックに反映されていなかったが、「信長の野望・創造パワーアップキット」においてついに実装された。とはいえ、それまでの“いかにも猛将”然としたグラフィックを気に入っていたユーザーも多く、新しいグラフィックではヒゲが無くなってしまったのも相俟ってか、その評価は分かれている。

名前が難読の部類に入るためたまに「とかわさん」とかネタにされることも。

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  • 我が家の温もり

    毎年恒例になりつつある上官からの見合い話。元来人と関わる事を由としない一存が最も苦手とする付き合いの一つだが、断る訳にもゆかず、しぶしぶと見合いに向かう。 現れたのは非の打ちどころのないような美しい姫君だったが、一存の脳裏には別の人の姿が思い浮かんでいた。 疲れた心身を引きずるようにして無人の屋敷に戻ってきた一存が見たものは――? 信オンで盾職として苦楽を共にしている一存と長氏の日常のお話。 ※イラストはししまい様より頂きました。いつも素敵な作品をありがとうございますm(_ _)m
  • 鬼の目には・・・

    「鬼十河(おにそごう)」の異名を持つ一存の、心身ともに疲弊した時の癒され方。 まったりとしていて、思いっきり甘いお話です^^
  • 三好家の人々

    盗まれた月

    ・創作戦国で、松永久秀×三好長慶と十河一存。前に投稿「青竹の籠」と同じ設定ですが、話はあんまり繋がってないのでこれだけでも読めます。・一存のあり得ないワイルドな応急処置(負傷→傷に塩を塗る→更に植物の蔓で縛って→再び出陣)を知ってから三好家の弟たちの中では一存が一番気になります。 ・タイトルは大原一人「おそらくは/われわれの手に/返るまい/ぬすまれた月も/月のひかりも」から。
  • 三階菱と釘抜

    三好長慶以下兄弟が揃った折の、他愛ない話なのですが…
  • 思慕の情

    朝廷の呼び出しを受けて、京の町を訪れていた一存は、町の人からもうすぐ馬備えが始まる事を聞く。その馬揃えには、長氏が同行していた。 会う予定のなかった二人の、思いが交錯するお話です^^
    13,751文字pixiv小説作品
  • 寂しさの形

    長氏の意外な癖。しかしそれは、彼のささやかな自己主張。普段は聞きわけの良い長氏が、一存にだけ見せる子供っぽい一面をお話にしてみました^^

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