概要
プロフィール
時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 貞応2年(1223年) |
死没 | 文永4年10月12日(1267年10月30日) |
官位 | 従一位、太政大臣 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺実氏、母:家女房 |
兄弟 | 公基、公相、姞子、公子、道勝、道耀、守助、教子 |
妻 | 徳大寺教子(徳大寺実基の娘)、中原師朝の娘、藤原定家の娘、園基氏の娘 |
子 | 実兼、実康、実顕、実俊、尊教、勝恵、実守、嬉子、相子、近衛基平室、徳大寺実孝室、九条忠教室 |
経歴
元仁2年(1225年)に従五位下、侍従・左近衛中将、嘉禎2年(1236年)に従三位、嘉禎4年(1238年)に権中納言、元応元年(1239年)に権大納言となり中宮大夫、春宮大夫、右近衛大将に進み建長4年(1252年)に内大臣に就任した。建長6年(1254年)に右大臣、従一位に進み左大臣を経て弘長元年(1261年)に太政大臣となった。