概要
プロフィール
時代 | 平安時代ー鎌倉時代 |
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生誕 | 承安元年(1171年) |
死没 | 寛元2年8月29日(1244年10月2日) |
官位 | 従一位、太政大臣 |
主君 | 高倉天皇→安徳天皇→後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:藤原実宗、母:持明院基家の娘 |
兄弟 | 公定、公経、公修、公仲、公暁、藤原定家室、藤原隆忠室、藤原公国室 |
妻 | 一条全子(一条能保の娘)、ほか |
子 | 掄子、実氏、実有、実雄、道融、実藤、実材、女子、成子、実意、実助、尊恵、実顕、行安、慈助、実勝、三条実親室、嘉子、公子 |
経歴
安元2年(1176年)に従五位下となる。侍従・左少将・備前介・蔵人頭などを歴任した後の建久9年(1198年)に従三位・参議となる。建仁元年(1201年)に正三位、翌年に権中納言、右左衛門督となり元久3年(1206年)に中納言、建永2年(1207年)に権大納言、建保6年(1218年)に大納言、承久元年(1219年)に右近衛大将となるが承久3年(1221年)の承久の乱では後鳥羽上皇に幽閉されるが上皇の挙兵を幕府に通告したことで幕府の勝利に導いたことで同年に内大臣、貞応元年(1222年)に太政大臣に進み翌年の貞応2年(1223年)に従一位、寛喜3年(1231年)に出家した。
人物
小倉百人一首に入道前太政大臣として採録されている。
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり