概要
父は西園寺公経、母は一条全子(一条能保の娘)、官位は従一位・太政大臣、後深草、亀山天皇の外祖父。
プロフィール
時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 建久5年(1194年) |
死没 | 文永6年6月7日(1269年7月7日) |
官位 | 従一位、太政大臣 |
主君 | 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺公経、母:一条全子(一条能保の娘) |
兄弟 | 掄子、実氏、実有、実雄、道融、実藤、実材、女子、成子、実意、実助、尊恵、実顕、行安、慈助、実勝、三条実親室、嘉子、公子 |
妻 | 四条貞子(四条隆衡の娘)、藤原幸子(藤原親雅の娘) |
子 | 公基、公相、姞子、公子、道勝、道耀、守助、教子 |
経歴
建久8年(1198年)に従五位下となる。侍従・遠江介・左少将・左中将などを歴任した後、承元5年(1211年)に従三位・参議となる。正三位・権中納言・左衛門督に進み、承久3年(1221年)の承久の乱後に右近衛大将になった。元仁元年(1224年)に権大納言、寛喜3年(1231年)に内大臣、嘉禄元年(1235年)に右大臣となり翌年の嘉禄2年(1236年)に従一位、寛元4年(1246年)に太政大臣に就任した。