曖昧さ回避
ヘタリアの登場人物
→ルクセン
概要
正式名称は「ルクセンブルク大公国」。
モナコ公国・リヒテンシュタイン公国・アンドラ公国と並び現存する4つの貴族が治める形の国のひとつである。なお「公爵」を君主とする公国に対して「大公」を君主とする「大公国(大公+国 "たいこうこく")」であり、「でかい公国(大+公国 "だいこうこく")」という意味ではない。もっとも、面積も人口もこの4ヶ国で確かに最大ではある。
外務省では国名はドイツ語読みの「ルクセンブルク」が採用されているが、フランス語読みの「リュクサンブール」と呼ばれる事もある。
このうちルクセンブルク語は当地で話されてきたドイツ語方言をベースとして標準化された言葉であり、全体的にドイツ語によく似た言葉である。
首都のルクセンブルク市には、EU各機関のオフィスが置かれている。
国名はこの地域のドイツ語方言で「小さな城」を意味する。
これはローマ帝国時代、2つのローマ街道が交差する交通の要衝に築かれていた砦のことである。
隣接するベルギー、オランダと緊密な関係にあり、この三国は「ベネルクス三国」と呼ばれる。
経済
主力産業は金融。
人口60万人程度の牧歌的な国だが、京都市(人口146万人)と同等のGDPを持ち、世界屈指の生活水準の高さを誇る。
各種税率が周辺国より低く設定されているため、登記上の本社をルクセンブルクに移転させるIT企業が後を絶たない。タックスヘイブンと言うと響きはかっこいいが、周辺国からの評判は悪い。
歴史
現在のルクセンブルク地域はドイツの歴史的地域の一部で神聖ローマ帝国に属していたが、大公国領には過去にはフランス語圏地域も含まれていた。
フランス革命後にフランスに併合されるが、紆余曲折を経てドイツ語系地域が1839年に独立。
フランス語圏地域は現在のベルギー・リュクサンブール州となっている。
また、独立時にオランダ国王がルクセンブルク大公を兼任する事となった事からオランダとは同君連合の関係にあったが、1890年のウィレム3世(ギヨーム3世)崩御時に王位・爵位継承権の違い(当時オランダは既に女性の王位継承を認めていたものの、ルクセンブルクでは女性大公がまだ認められていなかった)から別々の人物がオランダ王とルクセンブルク大公を継承する事となったため連合が解消されている。
1867年以降に非武装の永世中立国を宣言していたが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の二度にわたり中立を無視したドイツの侵攻を受けている。
戦後は非武装を放棄しては軍を組織化し、NATOに加盟した上でさらに徴兵制を導入した。
関連項目
Skype(かつてはルクセンブルクの企業が運営していた)