曖昧さ回避
- 日本の姓『かわさき』をローマ字表記したもの。河崎、河先、河嵜、川咲、川崎、川埼、川先、川岬、川嵜など。
- 日本の地名『かわさき』をローマ字表記したもの。川崎市(神奈川県)など。
- 日本の起業家・川崎正蔵により設立された『川崎築地造船所』をルーツとする『川崎重工業グループ』をローマ字表記したもの。→ 川崎重工業
本項目では川崎重工業(カワサキモータース)のバイク部門について解説する。
カワサキモータースのブランド
一般にオートバイのブランドというイメージだが、全地形対応車、水上オートバイなどもラインナップしている。ライバルである『本田技研工業』や『ヤマハ発動機』同様に、様々なエンジン付き機械を手掛けている(当該記事参照)。
ブランドのイメージカラーは緑(主にライムグリーン)で、全日本ロードレースで長らく鳴らしたディーラー系チームも「チームグリーン」を名乗っている。
日本四大メーカー中唯一MotoGPの最高クラスでのチャンピオン経験はない(中小排気量クラスでならある)が、市販車に近い状態で戦うスーパーバイク世界選手権では2020年まで6連覇(選手権史上1位記録)という圧倒的な強さを誇っている。また北米モトクロスでも常勝メーカーの一つである。
よく知られている「カワサキか…」のコピペから、漢のバイク!すぐ壊れるし直せない!素人は帰れ!というイメージでネタにされたり擬人化されることも多いが、それはすでに過去のお話。
若者にプチ二輪ブームを起こすきっかけとなったNinja250、二輪車としては史上初のスーパーチャージャーを搭載したNinja H2シリーズ(←令和2年度の文部科学大臣表彰・科学技術賞を受賞)、4気筒・250ccの超高回転4ストロークエンジンを現代に復活させたZX-25Rなどはその良い反例で、今は消費者の埋もれているニーズを掘り起こしたり革新的なエンジンを採用することで新たな市場を切り拓く、現代で最もチャレンジングでクールなバイクメーカーの一つとなっている。
歴史
1937年、『川崎重工業』から『川崎航空機工業』が独立したが、第二次世界大戦後に飛行機を製造できなくなった。
1953年、『川崎機械工業』播州歯車工場や『川崎機械工業』高槻工場でバイク用のエンジンを製造し、『大日本機械工業』へ供給。『大日本機械工業』は自社の「光自転車」を原動機付自転車化するのに使用した。
『川崎航空機』は岐阜製作所で原付2種クラスのスクータータイプのオートバイ(2段ミッション車のため厳密に言うとスクーターではない)「川崎号」を製造するが、販売網が無いため販売は不調に終わった。
当時は2輪車を製造販売する企業が100社以上もある時代で、『大日本機械工業』は競争に敗れ二輪事業から撤退。
『川崎重工業』は『大日本機械工業』の社員が立ち上げた会社に出資して国内販売会社『明発工業(メイハツ)』を設立。『明発』は『明石発動機』の略で、『大阪発動機』を意味するダイハツや『東京発動機』のトーハツと同じようなネーミングの仕方である。
1954年、『明発工業』は『川崎明発工業』に社名変更。『川崎航空機』神戸製作所でバイク用のエンジンを製造し、『川崎明発工業』がそれをメイハツ製の車体に搭載しメイハツブランドで販売した。
1960年、販売台数が増え、『川崎明発工業』の製造キャパシティーを超えるようになってしまったので、『川崎航空機』神戸製作所で単車部を立ち上げ二輪車の一貫生産を開始。
1961年、『目黒製作所』と提携する一方で『メイハツ』を吸収して『カワサキ自動車販売』と社名変更。「自動車」とあるのは当初360㏄の軽自動車を作る計画もあったためで、「KZ360」という試作車も製作していたが、他社に先を越されたことでお蔵入りとなった。
単車部設立後に発売した車種は『メイハツ』設計のB7と『川崎航空機』設計のカワサキPETの2車種で、カワサキPETはホンダのスーパーカブのようなモペットタイプだった。
1962年、カワサキ125B8を発売。
1963年、カワサキ125B8が青野ヶ原モトクロスレースで完全優勝。
1964年、経営不振となっていた『目黒製作所』を吸収。『カワサキメグロ』ブランドとして二輪車「SG」を発売。
1965年、カワサキW1を発売。
1966年、『カワサキ自動車販売』を『カワサキオートバイ販売』に社名変更。アメリカに販売会社『American Kawasaki Motorcycle Corp.』を設立。カワサキA1を発売。
1968年、アメリカの販売会社を『Kawasaki Motors Corp., U.S.A.』に改称。
1969年、『川崎重工業』・『川崎車輌(川崎車両)』、『川崎航空機工業が』合併して新たな『川崎重工業』となる。汎用エンジンの国内販売会社『ヰセキカワサキサービス販売』を設立。カワサキH1を発売。
1971年、カワサキH2を発売。
1972年、カワサキZ1を発売。
1974年、ネブラスカ州(アメリカ)にオートバイの組立工場を建設。
1978年、カワサキZ1Rを発売。ロードレース世界選手権GP250/GP350で、KR250/KR350が年間タイトルを獲得(ライダーはコーク・バリントン)。白バイ専用車のKZ1000ポリスを販売
1979年、カワサキKZ1300を発売。ロードレース世界選手権GP250/GP350で、KR250/KR350が年間タイトルを獲得(ライダーはコーク・バリントン)。
1984年、カワサキGPz900R(ニンジャ)を発売。
1989年、カワサキ・ゼファーを発売(400cc)。
1990年、カワサキZZR1100を発売(北米向けの車名はニンジャZX-11)。
1992年、国外からの要望に押され、ゼファー・シリーズに750cc、1100ccが加わる。
1993年、『カワサキオートバイ販売』が『カワサキモータースジャパン』に社名変更。
1994年、カワサキ・ニンジャZX-9Rを発売。
1997年、『ヰセキカワサキサービス販売』が『ケイジェス』に改称。
2000年、カワサキ・ニンジャZX-12Rを発売。
2001年、『川崎重工業』の社内カンパニー制の導入に伴い呼称が『汎用機カンパニー』となる。
2008年、カワサキ・ニンジャ250Rを発売。
2009年、世界ロードレース選手権MotoGPの参戦を休止。
2010年、呼称が『モーターサイクル&エンジンカンパニー』へ変更された。カワサキ・ニンジャ1000を発売。
2018年、カワサキZ900RSが第一回「日本バイク・オブ・ザ・イヤー」大賞を受賞。
2019年、カワサキZ・H2・ニンジャZX-25Rを発売。
2020年、スーパーバイク選手権でジョナサン・レイ選手(カワサキレーシングチーム)が6連覇を達成。
2021年、『川崎重工業』より分社独立し、『カワサキモータース株式会社』を設立。
ロゴ
3社の合併辺りで現在の川崎重工業グループのコーポレートマークとなる「フライングK」を二輪部門の新たなシンボルマークとして制定、1978年ごろを境にカワサキのメーカーロゴも大文字タイプからヘルベチカフォントの「Kawasaki」となる。
フライングK及びヘルベチカフォントKawasakiロゴ
旧カワサキ大文字ロゴ
分社化、新会社設立
『モーターサイクル&エンジンカンパニー』だった二輪車部門が2021年10月1日をもって分社化、『カワサキモータース株式会社』となった。
社名については国内の販売会社である『カワサキモータースジャパン(KMJ)』や海外法人の社名に合わせたものと思われる。併せて、『カワサキモータースジャパン』の株式を『川崎重工業』から譲渡されて『カワサキモータース』の完全子会社とし、その代表取締役社長に女性を起用する人事も発表された。
分社化の構想は2020年11月に発表され、当初この時点で赤字に転落していたことからカワサキに対する危機感や二輪車部門を見限ったのかという空気感が漂っていたが、実際はそうではなく、『川崎重工業』唯一の一般消費者向け事業を担っていることもあり、刻々と変化する消費者ニーズに的確に応えるための分社化だった。
ブランドシンボルマーク(CIマーク)は、古くは1870年代から使われ、2007年頃まで『川崎重工業』グループ全体の社章として使われていた、通称「リバーマーク」。創業者・川崎正蔵が考案した「川」をモチーフとしたシンボルを採用している。
オートバイでは『目黒製作所』を吸収した後の「若いカワサキ」をキャッチコピーとした頃の『川崎航空機』時代に発売された車種のタンクエンブレムに、近年ではNinja H2/H2RやZ H2などのフラッグシップモデルのカウル先端にエンブレムが装着され、カワサキレーシングチームのマークとして使われている。
それ以前は通称「フライングK」と呼ばれる二輪部門のシンボルマークがあったが、2007年以降は『川崎重工業』全体のCIマークとして使われている。現在は『川崎重工業』がフライングK、『カワサキモータース』がリバーマークを使用するという逆転現象となっている。ただし『川崎重工業』の一部子会社でもリバーマークを使用している企業がある。
リバーマーク(Ninja H2ティザー動画より)
分社化で他社との連携を強め、イタリアのビモータや台湾のキムコなどとの関係を強化していくという。特にビモータは休眠状態であったところを2019年に現地法人と合弁会社を設立していた。
ライムグリーン
カワサキの二輪車を語る上で非常に欠かせないものとしてブランドイメージカラーのライムグリーンがあるが、元々は自社一貫生産を開始した際の市販車の不評を払拭させるために参戦した青野ヶ原モトクロスレースで1~6位を独占したときの車体とヘルメットの色から赤がイメージカラーだった。
初めてライムグリーンのマシンが登場したのは1969年の「デイトナ200マイル」に参戦時で、緑が霊柩車の色のアメリカで「目立つため」にライムグリーンを採用。既に他社が赤を採用していたのも要因のひとつでもあった。
しかしこれが好評だったことや、1970年代以降のレースでの活躍からいつしか「グリーン・モンスター」と呼ばれるようになっていた。
採用から半世紀の2019年、鈴鹿8耐で26年ぶりの優勝を飾っている。
ライムグリーンの発案者は後にヤマハのイエローストロボカラーも手掛けた。
Let the good times roll.
「Let the good times roll.」というフレーズが1990年代から現在に至るまで、国内外の広告でカワサキロゴの下に表記されている。これは1970年代にアメリカ市場へ進出した際、アメリカ市場での宣伝コピーのフレーズとして使用されていた。当時は性能・価格・品質を訴求する広告が主流だったが、そこに「さあ、楽しくやろうよ!」と全く違う視点でカワサキのバイクをアピールしていた。
このキャッチコピーは当時900Super4(Z1)の登場と共に流行し、1980年代にはほとんど使われなくなっていたが、1992年に日本市場で再登場。以後長きにわたりカタログや広告などのタグラインとして使用されてきた。
2013年の『川崎重工業』社長交代の際にグループの新たなタグライン「Powering your potential」が制定され、二輪部門でもこのタグラインを使用することで一時消えてしまうが、元社員の間から「"Let the good times roll" は長い歴史があり、二輪車部門内だけでも復活させてほしい」という声があり、それに応える形で2019年の年の東京モーターショーのカワサキブースで再び使われ、分社化による新会社設立の際に定義された「カワサキに関わる人すべての、よろこびと幸せのために」を表現するタグライン(ブランドミッション)として改めて採用された。
元々はアメリカ向けのキャッチコピーのため日本語訳はなかったが、新会社設立を機に「楽しんじゃえ!」という新たな意訳も設定された。ちなみにGoogle翻訳では「もっと楽しもうぜ」と訳される。
このタグラインを後世に残そうと、賛同する元カワサキの社員の有志が集まって2009年にNPO法人「The Good Times」が設立されている。
当時の海外コマーシャル映像
※当時のフレーズは「Lets the good times roll」であったが、暫くして現在のフレーズに変更されている。
余談
非公式だが、Kawasakiをモチーフにした歌もある。
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