概要
国産メーカーで唯一、どの国内メーカーともアライアンス関係にないと(海外メーカーではGMと提携している。
日本でも他業種であるがソニーグループと提携をしており、合弁会社であるソニー・ホンダモビリティを設立している)いう孤高の存在。
2024年には日産と提携、更に三菱自も加わりホンダ・日産・三菱自による連合が実現した。
またバイクメーカーとしては世界一のシェアを持つ。北米ではアキュラという高級車ブランドを展開している。
他にも耕運機、芝刈機、運搬車、ポンプなどの農業機械、除雪機、発電機、電動カート「モンパル」、船外機、さらには飛行機(Hondajet)まで、エンジン付き機器を幅広く手掛けている。
変わり種では時速240km/hで走る世界最速の芝刈り機や人型ロボットASIMO、自転車用後付エンジンキット「カブF」、キックボード(キックスケーター)の一種である「ローラースルーGOGO」のヒットでも知られる。
現在のグローバルブランドスローガンは「The Power of Dreams」だが、2023年には「how we move you」の副文が追加される。このほかに、2000年に制定されたコミュニケーションネームとして「Honda」の表記を(ロゴタイプを使用しない場合の)社名表記として使用している。
ロゴマークについては、四輪は「H」マーク、 二輪は「ウイングマーク」とHONDAロゴの併用、汎用製品はHONDAロゴのみとなっている。
歴史
本田宗一郎が静岡県浜松市に設立した本田技術研究所が起源である。経営の実務面を担当した藤沢武夫と二人三脚で世界的な大企業に育て上げた。
戦後乱立した二輪メーカーの中でもヤマハ発動機(以後ヤマハと表記)と並び戦後二輪モータースポーツの発展を支えた。
なおヤマハにバイク作りのノウハウを教えたのは本田宗一郎であるが、本田の引退後ヤマハに後に「HY戦争」と呼ばれる争いを仕掛けられるという裏切り行為に遭ったことがある。
しかし時を経て仲直りし、再びヤマハと手を組んで原付を共同開発している。
四輪への参入は現在の国内他社に比べると遅い方であった。戦前からのトヨタや日産はもとより、戦後参入組のスバルやマツダ、スズキよりも後であるが、軽自動車市場でのN360の大ヒット(1967年)を皮切りに、登録車では1972年発売のシビックで地歩を築いた。良品廉価やCVCCなどの独自の技術力、モータースポーツのイメージが当時の若者(団塊の世代)から受けて成長を遂げ、1980年代には一時撤退していた軽乗用車市場にも復帰し、高級車市場にも参入。1990年代には「RV」やミニバンブームを主導し、2000年代には日産を上回る日本2位のメーカーにまでに成長した。
二輪車におけるホンダ
日本四大二輪車メーカー(ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ)の頂点に君臨する世界No.1メーカーである。
ラインナップも広く、下は50ccクラスから上は1,800ccクラスまである。全般的な車両のイメージとしては「優等生」と呼ばれることが多く、操縦がしやすく、耐久性も高く性能も良いものが多い。おかげで自動二輪免許の教習車で圧倒的なシェアを誇る。
癖のあるバイクを好む玄人ライダーには「優等生」で「無個性」「退屈」、さらには「後出しジャンケンが得意」などとこき下ろされてしまうことも多いが、マーケットリーダーらしく過激なスポーツモデルや癖のあるモデルも満遍なく用意されている。この辺の事情は四輪車業界で言うトヨタと被っている。
本田宗一郎が2ストローク嫌いだったため、ラインナップは昔から4ストローク重視である。ただし他社と競合する必要性から2ストロークも何度か開発しており、レーサーレプリカの代表格であるNSR250Rなどの名車も輩出している。
原動機付自転車(125cc未満)
同社の代名詞とも言えるスーパーカブは、ものすごい耐久性と燃費の良さによる経済性で郵便配達や新聞配達等、実用性が求められる業界では鉄壁のシェア1位である。そのためオートバイというジャンルを超えて「単一車種で世界で一番生産された乗り物」となっている。
また、屋根付きバイクというとんでもない・・・だが実はパーソナルモビリティとしては合理的なものを世に送り出している。その最たる例が「ピザ屋の三輪バイク」ことジャイロキャノピーであり、同車はピザのみならず各種デリバリーサービスで引っ張りだことなっている。新車価格自体は約57万円となかなか高価だが、原付特有の維持費(燃費・税金・保険料・メンテナンス代)の安さと保管スペースの節約という面では、長く使う上でのコストパフォーマンスは悪くない。
近年原付一種の分野では、かつてバイク作りのノウハウを本田宗一郎に教えてもらったにもかかわらず、彼の引退後に「HY戦争」と呼ばれる争いをホンダに仕掛けるという裏切り行為を行った宿敵ヤマハと協業することになり、世間を驚かせた。2018年から協業の第一弾としてヤマハに「タクト」を「ジョグ」、「ジョルノ」を「ビーノ」としてOEM供給を始めた。
自動二輪車(400cc未満)
400ccクラスではCB400SuperFourが普通二輪免許用の教習車として多く利用されることもあり、同クラスの代名詞的存在となっている。
教習車(笑)と揶揄する者もいるが、市販車仕様は乗りやすい上に走行性能も抜群で、さらにホンダの代名詞VTECが、我々のイメージするような低回転と高回転の切り替えの瞬間が聞ける仕様で搭載されている稀少な中型スポーツバイクでもある。
400ccクラスで迷ったらこれを選んどけば問題ない、という位の性能・品質を持っているがゆえに教習車に選ばれているのでバカにはできない。
スポーツタイプ人気が加熱する250cc市場ではCBR250R、CBR250RRを出しているが、前者は「4st単気筒がスポーツを名乗るな」、後者は「後出しジャンケン」とどちらもひどい叩かれ方をしていた。しかし単気筒スポーツは後から他社も出している(Ninja250SL、ジクサー250など)し、CBR250RRは車両価格80万円の250ccを初めて売るという、単に後出しというには非常にチャレンジングなモデルであり、偏見にすぎない。
また各社が撤退した250ccクルーザー界にレブル250を投入し、2020年上半期1位を獲得するなど、市場開拓での強さも見せている。
前述の通り2ストローク市場への参入が遅れた為「2ストがヘタ」とされ、ヤマハやスズキに対抗して発売したMVX250Fでは初期ロットでセルミックス機構の不慣れから焼き付きが相次ぎイメージダウン、後継モデルのNS250Rでも販売面で苦戦が続き、性能・人気ともに市場にようやく受け入れられるようになったのはNSR250R以降からであった。このNSRの大ヒットにより、2ストバイク市場のトップを独走することとなる。
自動二輪車(400cc以上)
白バイとして有名なVFR800Pが存在する。ベースのVFR800は日本ではあまり見かけないが、白バイ仕様は実際にお世話になった人だけでなく、駅伝などの長距離走の先導車両としてTV中継などでよく見かけるバイクである。ただし、最近の白バイは規制の関係でCB1300SFをベースにしたCB1300Pにシフトしつつあるため、いずれはこちらが白バイの代名詞になるだろう。
他には国産唯一である水平対向6気筒のゴールドウィングシリーズ、大型アドベンチャーのアフリカツインシリーズ、ホンダのスポーツバイクの代名詞であるCBRシリーズなど、ビッグネームが揃っている。
仮面ライダー
平成仮面ライダーシリーズにスポンサーとして参加している関係で、アギトからずっとライダーが乗るほとんどのバイクのベース車両を提供しており、仮面ライダーとコラボしたチームでの鈴鹿8時間耐久レースへの参戦も行っている。
四輪車におけるホンダ
本田宗一郎が掲げた「MM思想」(マン・マキシマム、メカ・ミニマム=人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に)という考え方の下、居住空間を広く取りやすいメカニズム(前輪駆動やセンタータンクレイアウトなど)にこだわった車作りが特徴である。前輪駆動は操舵と駆動を前輪が同時に担うため、一般的には後輪駆動よりもスポーツ走行に不利なイメージがあるが、シビック・インテグラなどのタイプRは後輪駆動に劣らぬ走行性能の高さで人気を集めた。さらにレジェンドのような高級セダンにもV6エンジンを横置きする形で前輪駆動を採用するほどの執着ぶりである。
NSXやS2000、ビート、S660、商用軽のアクティなど後輪駆動もあるが、それでも他社に比べると極めて少ない。なお後輪駆動の中でもMR(ミッドシップエンジン)が異様に多いのもホンダの特異なところで、上に挙げたうちFRのS2000以外はすべてMRである。
かつては全体的に足回りが固く「同乗者に辛くドライバーに優しい」クルマが揃っていた。また「エンジンは丈夫だがボディの鋼板が薄くすぐヘタる」、「(トヨタと比較して)走りはいいが内装がショボイ」とも言われていたが、いずれも現在ではかなり改善されていたり、他社の変化により目立たなくなっていたりする。 海外ではトヨタと並び耐久性にも定評があり、アメリカ合衆国には100万マイル(約160万km)走ったアコードもある。日本でホンダ車がそれほど頑丈というイメージが無いのは、トヨタ車がその上を行くのと、高温多湿や融雪剤で電装品やボディがやられやすいせいだろう。
それでも、8000回転、もしくはそれ以上の高回転までブン回るVTECエンジンの圧倒的なパワー感と官能的なサウンドにヤられてしまった多くの車好きは多少のことなど気にしない。特にS2000の前期型に搭載されたF20型エンジンなどは最高9000回転、ピストンスピードはF1エンジンを超えるという超変態エンジンである。
さらに、日本国内メーカー内で広まっていた280馬力規制を初めて破ったメーカーでもある(レジェンドの4代目で300馬力)。
バイクメーカー出身だけあって、基本的には小型で良いクルマを作るという評判である。現在は世界的にはトヨタ・日産に近いフルラインナップメーカーではあるものの、2019年の国内販売における軽自動車の販売比率が50%を超えている。よく言えば上級車種と下級車種で装備の差をあまりつけないのだが、悪く言えば売り方がヘタで、それが上級車の販売不振に繋がっている。
バイクや「エンジン屋ホンダ」のイメージからガソリン臭い印象があるかもしれないが、最初にヒットを飛ばしたシビックが当時世界一厳しかった排ガス基準の「マスキー法」を最初にクリアしたCVCCを高く評価されたように実はエコ・省エネ技術に優れているメーカーでもある。「世界初の量産ハイブリッド」を標榜していたトヨタのプリウスとほぼ同時期にハイブリッドカーを発売したり、同じくMIRAIと同時期に燃料電池車のクラリティを発売するなどしている。
ライバルに比べ価格が割高と言われるが、ホンダ車は全車種が標準で他メーカーで言う「寒冷地仕様」となっていることも影響しており一概にはいえない。またディーラーでは、オプションの組み合わせがパターン化され自由に選ぶことができず、結果的に不要なオプションを付ける必要があるという、不便な装備設定も評判が良くない。
一方意外なところで、軽キャブワゴン・バン・トラックの「バモス」と「アクティ」の全車にMTを設定していた。現在スズキの「エブリイ」、ダイハツの「アトレー」、三菱の「TOWN-BOX」は上位車種からMTを廃しているため、軽キャブワゴン全車にMTを設定しているのはホンダのみになった。しかも、「バモス」「アクティバン」の後継車である「N-VAN」に至っては6速MTとなっている。
二輪と違って四輪はラリーへの参戦経験が無く、オフロード4WDが得意でないというイメージがある。実際上記のアクティ、あるいはアクティベースのZ(2代目)という例はあれど、本格的なクロスカントリー車を手掛けたことはない。かつてはいすゞ自動車もしくはランドローバーからクロカン車のOEM供給を受けており、のちにCR-Vを皮切りにクロスオーバーSUVやピックアップトラック(北米において)を多く手掛けているが、「デュアルポンプ」と言われるホンダ独自の4WDシステムを搭載した街乗り重視のモデルがほとんどである。
高級車も苦手と言われるが出来自体は素晴らしく、繰り返すが売り方が下手なだけといえる。レジェンド、NSXなどが鮮烈なデビューを飾った1980年代〜90年代初頭には、スポーティーさと若々しさというイメージで日本や北米の富裕層に食い込んでいた時代もある。しかし、バブル崩壊後はRVに力を入れた結果高級イメージは立ち消え、スポーツイメージも薄らいで、後述の「ミニバンメーカー」のイメージになってしまった。北米と中国などでは高級車ブランド・アキュラを展開しているが、トヨタのレクサスや日産のインフィニティに比べると低迷している。
最近は大企業化しすぎたためか作るクルマは保守的で、オールマイティで消費者の声をよく聞いたと思われる車(N-BOXやヴェゼル、フィット)が多い。逆に昔は退屈とされてきたのに今は尖ったクルマ作り(現行プリウスやC-HR、4代目ヤリス)に励んでいるトヨタと立場が逆転してきているのが面白いところである。ただし、N-BOXやフィットに関して言えば走りはそれほどではなくとも、シートアレンジの豊富さと、異常な広さの車内空間が最大の武器となっており、ホンダの「M・M構想」の最たるものということもできる。
「かわいそうな先駆者」説の真実
車好きからはトヨタにあっという間にそのコンセプトをコピーされてしまうと言われている。
特に「ハイブリッドをみんなのものに」と値下げを行った2代目インサイトのデビュー直後に登場したZVW30プリウスの明らかにインサイトを意識した価格設定に関しては各方面で「明らかなインサイト潰し」としばしば批判される(実際、30プリウスは先代(20系)や次期型(50系)と比べて異常に安い)。
インサイト自体はシャシーがフィットと共通と言うこともあってホンダ自身にとっては充分ペイできる商品だったので、トヨタの販社の体力が削れた末に大規模リコールが発生というライバルの壮絶な自爆の後、CR-ZやフィットハイブリッドといったHV反攻に出ることが可能になった…はずだったが、ホンダはホンダでフィットハイブリッドのリコールを5連発して出荷停止という自爆返しをしてしまい、反撃は実現できなかった。
またストリームを発売した際、「セダン感覚で乗れるミニバン」というコンセプトが受けて大ヒットしたのだが、その直後、トヨタからウィッシュが発売。全長・全高・全幅・ホイールベースに至るまでほぼ同じというあからさまなまでのパクリ商品であったが、「商品」としてさらに洗練されたウィッシュの方が売上は上回り、哀れ先駆者であったはずのストリームは完全にウィッシュの後塵を拝することになるのだった。
ホンダの逆転勝利の開始
しかし一方でホンダも負けてはいない。モノコック構造を採用した「クロスオーバーSUV」ブームの先駆けとされるトヨタ・RAV4の1年後、ホンダは同じコンセプトでより洗練されたCR-Vを出して市場を奪っている。
またマツダのデミオがスペースユーティリティ重視のコンセプトで、トヨタのヴィッツがしっかりとした作り込みで、それぞれ高い評価を受けた後、ホンダは両者のいいとこどりのフィットを出してマツダとトヨタが開拓した市場を奪った。
上述の2代目インサイトの「ハイブリッドをみんなのものに」というのも、元はと言えば僅か215万円で史上初のスプリット式ハイブリッドカーを世に送り出した初代プリウスのコンセプトで、初代インサイトは明らかにプリウスを意識した210万円で後から出している(が、完成度の差で完敗している)。さらにいえば、「FUN TO DRIVE」というキャッチコピーに至ってはトヨタの完コピである(後にトヨタからは「FUN TO DRIVE, AGAIN.」と返されている)。
初代トゥデイのデザインがルノーにパクられトゥインゴを出されたという話は有名だが、実のところトゥデイもフィアット・リトモのパクリであった。
ここまで読めばおわかりであろうが、相手のコンセプトの真似し合いは日本メーカー・海外メーカーを問わず自動車業界では当然の様に起きている。なので後先だけで偉さを量るのは難しい、ということは頭の片隅に置いておいた方が良いだろう。
輸送機器の電動化を見据えた社内改革の成功
ガソリンエンジン車が繁栄を極める中、21世紀以降も産油国で紛争が発生するたびに原油価格が高騰する事態が度々発生、中東などに原油を依存する世界経済の不安定な状況を打破する方法が模索されるようになる。慢性的に不安定な中東情勢と原油価格を打破すべく、海外では産油国に対する政治的カードとして電気自動車が再び奨励されることとなった。(中東の産油国そのものだけでなく中東各国に強い影響力をもつロシアへの対策、中東及びロシアの資源の回避という政治的な背景もあり欧州各国は急スピードで推進している。)
欧州では2030年、米国では2035年までに、日本や中国も2035年を目処に純ガソリン車の新車販売禁止となり、規制として自動車重量に応じたCO2排出量が基準を超えたメーカーには罰金が課せられる「企業平均燃費」(CAFE)が導入されたことで、日本も電気自動車を開発することが急務となった。
日本の自動車メーカーにとっては幸運なことにフォルクスワーゲンをはじめとした海外の自動車メーカーはクリーンディーゼル車において盛大に失敗、EVの開発も行き詰ったうえにHVの開発にも失敗という状態となっている。まさに日本の自動車メーカーがEVを世界に送り出すには絶好の機会であるにもかかわらず、トヨタを中心とするトヨタ陣営の自動車メーカーは従来のHV車にこだわった結果、テスラやBYDといった新興勢力に台頭を許してしまう結果となっている。(ただし、従来のガソリンエンジンの生産からEVの生産に切り替えた場合、それまで必要された雇用とは別の雇用が必要となる。膨大な雇用者を抱えるトヨタ陣営にとってEVに乗り出すことは困難な決断であるため一概にトヨタが悪いとは言い切れない事情もある。)
多くの日本の自動車メーカーがEVに躊躇する中、ついにホンダが本格的にEVに乗り出すことを決断する。少子高齢化が進んだうえに、日本人一人一人の購買力も国際的に低下してしまっている以上、日本の自動車メーカーも今まで通りの車を生産して稼ぐことは不可能であり、テスラやBYDのようにバッテリーやソフトウェアで稼ぐ企業へと転身、その後は航空機産業や宇宙産業に進出していく体制を作ることが必要であるとホンダも判断したのである。この迅速な判断が実を結び、他の自動車メーカに先駆けて、HVを磨きつつEVに乗り出す体制を作るための社内改革を実施し成功する。
この成功はホンダが単なる自動車メーカーではなく、その名の通り技術研究所であったことが大きい。ホンダには四輪の自動車だけでなく二輪のバイクや航空機器のホンダジェットという巨大な稼ぎ頭が存在するうえに、アシモをはじめとしたロボット開発にも取り組んでいたため他の自動車メーカーと違いEVに対するアレルギーが少なかったのも大きい。
創業者同士が良好な関係であったソニーとも協力し、次世代のEVを世界に送り出す体制作りにも成功した。(余談ではあるが、協力関係であるソニーもかつては家電からエンターテイメントへと転身する社内改革を行い、当時は批判の嵐を経験している。その批判されていたソニーが国際的企業へと成長して生き残り、逆に当時は従来の経営を維持したことで賞賛されていた東芝やシャープのその後の動向を踏まえると、現在のホンダは社内改革時に内外から猛批判されていたソニーの過去の姿に該当する。)
ホンダ・日産・三菱自による連合の時代へ
そんな中、ついに日本経済の大半を占めるとされる自動車産業が大型再編に向けて動き出す時代が到来する。
欧州や北米によるEV推進策に伴うEV車の普及により米国テスラや中国BYDといった海外の新興勢力が市場を席巻、100年分の未来を先取りしたとまで言われるEV化に伴う劇的な経営環境の変化により、日本の自動車メーカーは企業の垣根を越えて相互協力に向けた動きを加速した。
世界各国が排ガスをはじめとした規制を厳しくしていく中、もはやガソリンエンジンによる車では各国が要求する基準を満たし続けることは不可能であり、日本が誇るハイブリッド車でさえも遠からず基準を満たせなくなり行き詰まることは必至。それどころかハイブリッド車の実力が向上するほど国が要求してくる基準も厳しくなるといういたちごっこが続くため、日本の自動車メーカーがハイブリッド車にこだわっても意味がない。結局のところ、他国に比べ圧倒的な品質を誇ってきた日本の自動車メーカーでさえも、車の電動化に大至急取り組まなければ生き残れない時代となったのである。
北米やインドをはじめとした海外での企業活動、四輪や二輪だけでなくホンダジェットをはじめとした多角的な経営で成長してきたホンダは早い時点でこの課題を察知、EV車に欠かせない全固体電池に関わる特許をトヨタに追いつく勢いで取得し続けてきた。かつて本田宗一郎と藤沢武夫が成し遂げてきた不可能に挑戦し続ける姿勢はきちんと次世代へと受け継がれていたのである。
そして、ついにホンダと日産がEVの提携への協議を開始、その協業へ三菱自も参加することで販売台数800万台を超える陣営の誕生となった。
ここで注目すべき点は、ホンダ・日産・三菱自による連合はトヨタを中心とするグループと対決姿勢にあるわけではないことである。
ホンダ・日産・三菱自による連合の目的はトヨタ陣営に勝利することではなく、OS分野の掌握が必須となる未来においてSDV(ソフトウエア・デファインド・ビークル、直訳すれば「ソフトウエアによって定義される車」)という更に次世代の車を開発することにある。
そもそも、他国と比べ圧倒的な品質を誇っている日本の自動車メーカーが米国テスラや中国BYDに苦戦を強いられているのは、彼らがSDVの重要性に気づきいち早く実用化したためである。パソコン同様にソフトウエアの更新で車の性能を向上させ続けることができるSDVの登場は、日本の自動車メーカーと比べれば低品質であったはずの海外の自動車メーカーの車に日本車を圧倒するほどの実力を与えてしまったのである。
逆説的な結論となるが、日本の自動車メーカーがSDVを実用化してしまえば、他国と比べ圧倒的な品質の車を提供し続けたきた日本の自動車メーカーが米国テスラや中国BYDに負ける要素がないのである。
ホンダ・日産・三菱自による連合の実現はSDVがもたらしたゲームチェンジ、ハードウェア中心の世界からソフトウェア中心の世界への変化への対応を重視したことが大きく、まるでスマートフォンを操作するかのように車を運転する将来の局面に向けて大きくリードすることに成功したと言える。
もはや日本の自動車メーカーはハイブリッド車だけにこだわらず、いずれは世界で一般的となるEV車に舵を切られなければ生き残れない時代へと変化してしまったのである。日本の自動車メーカーが世界で生き乗っていくためには、現実を受け止めてEV車で勝負して勝利するしかない。このため、ホンダ・日産・三菱自による連合とトヨタ自動車を中心とするグループが互いに棲み分けながら世界に臨むという、文字通り両輪の体制で生存戦略を進めるのは非常に正しい行動と言える。
日本も「EV後進国」という汚名を返上するため、国家としてEV推進策に取り組んでおり、ホンダ・日産・三菱自による連合による躍進が今後も注目される。
が、しかし
連合を組んだ矢先、日産が90%の減益となり、99年以来再び瀕死の状態に追い込まれた。左前に陥った日産は20%の生産能力の削減、9000人のリストラを行い経営を立て直すが、秋頃から鴻海が日産を狙っていると報じられた。日産が鴻海に買収されると協業計画が白紙となりかねない。そのような事態を回避するため同年12月にホンダと日産が経営統合に向けて協議に入ったと報じられた。経営統合が成立すれば、自動車業界の再編となり、トヨタグループ、独フォルクスワーゲングループに次ぐ世界第3位の自動車グループが誕生することとなる。
モータースポーツの歴史
国内レースではヤマハの後塵を拝していたが、本田宗一郎の宣言によりイギリスのマン島で行われるマン島T.T.レースへ参戦。1961年には同レース125ccと250ccの両クラスで1〜5位を独占した。戦後間もない時代であり、伝説的な快挙として語り継がれている。また同時期、WGPへの参戦も開始している。
その後現在に至るまでサーキット・ダート問わず勝ち続け、WGP/MotoGPでは最高クラスの500cc/MotoGPクラスはもちろん全クラス総合でも史上最多チャンピオン、世界トライアル選手権では11連覇を達成した最強のメーカーとして君臨している。
1964年にはF1への参戦を表明し、翌年には初優勝をする。当時のホンダは2輪メーカーであったため、再びレース界に衝撃を与えることになる。
1980年代にエンジンサプライヤーとして参戦した第二期ではマクラーレンとのタッグで、アイルトン・セナと共に伝説の黄金時代を築くこととなる。その後も参戦と撤退を繰り返し、2021年にレッドブルとともにドライバーズタイトルを獲得。2022年は名目上は撤退するが、全面的にホンダが開発をサポートしており、事実上参戦を継続している。
ホンダはF1で唯一コンストラクター・エンジンサプライヤーの双方で優勝・チャンピオンとなった日本メーカーである。
インディカーでは他社の撤退のおかげもあったが、00年代には一時独占供給状態であった。現在もシボレーとともに闘いを繰り広げている。
耐久レースでもアキュラブランドを中心に活躍しており、北米IMSAでは何度かチャンピオンやデイトナ24時間総合優勝を果たしている。
アザーカーについて
レースゲームにおいて、首都高バトルやニード・フォー・スピードシリーズなどアザーカー(トラックやセダンなどいわゆる一般車)が出ているゲームには一切登場させていない。これは過去に大阪でシビックの暴走行為でホンダの関係会社が警察の捜査にあったため(この辺りの顛末は漫画「ナニワトモアレ」を読めばなんとなく分かる)、イメージダウンを下げるために許可していない。
ただし、アザーカーが出ないゲーム(頭文字Dやバトルギアなど)はきちんと登場する。
近年では実名使用許諾の基準が徐々に緩くなっており、2012年に発売されたアザーカーが登場する『Forza Horizon』でのホンダ車の登場を皮切りに、『アスファルト8:Airborne』『ニードフォースピード(2015)』などの改造や暴走行為のコンセプトのレースゲームでも登場している。
2016年12月稼働の『湾岸ミッドナイト MAXIMUM TUNE 5DX PLUS』にドレスアップパーツ装着不可能という制限付きでホンダ車が収録された。
関連イラスト
スポーツ活動
埼玉県狭山市の『Honda硬式野球部』 、三重県鈴鹿市の『Honda鈴鹿硬式野球部』、熊本県菊池郡大津町の『Honda熊本硬式野球部』の3チーム。本社チームの扱いを受けているのは埼玉県狭山市のチームであるが、残りの2チームも拠点している工場の同好会チームではなく本社公認のチームとなっていて、本社チームと同様にチーム強化を続けている。
主な出身者(太字は現役)
Honda硬式野球部出身
Honda鈴鹿硬式野球部出身
Honda熊本硬式野球部出身
静岡県浜松市をホームとするサッカー部『Honda FC』があり、現在はJFLに参戦中。
ちなみに本田技研工業のサッカーチームは、Honda FCの他にも栃木県(Honda栃木FC)、三重県(Honda鈴鹿FC)、熊本県(Honda熊本サッカー部)にもあるが、本社公認のサッカーチームはHonda FCのみである。
かつては宮崎県宮崎市をホームとする完全子会社『ホンダロック』のサッカー部『ホンダロックSC』が居たが、ホンダロックのミネベアミツミへの売却に伴い、現在は『ミネベアミツミFC』としてJFLに引き続き参戦中。
鈴鹿市を中心とする三重県をホストエリアとするラグビー部『三重ホンダヒート』がある。ラグビーワールドカップ2019に具智元とレメキロマノラヴァの2名が日本代表として出場。なお、国内リーグのトップカテゴリであるトップリーグとセカンドカテゴリのトップチャレンジリーグが完全プロ化を目指して3部制の全国リーグであるリーグワンに改組したことを受けて、『Honda Heat』からホームタウン名を加えた現在の名称に改称し、三重県及び県ラグビー協会とホームタウン包括連携協定を締結している。ただし、ヒート自体はプロ化していない。
栃木県真岡市をホームとする女子ソフトボール部『Honda Reverta』と、同県芳賀郡芳賀町をホームとする後発の『Honda男子ソフトボール部』の2チームが存在し、共に日本ソフトボールリーグに参加中。なお、男子のほうは元々、本田技研工業に吸収された子会社『ホンダエンジニアリング』の男子ソフトボール部であり、実のところはホンダエンジニアリング時代から数えると女子チームと同じぐらいの歴史を持つ。
三重県鈴鹿市をホームとする本社ハンドボール部『Honda Elk』と熊本県菊池郡大津町をホームとする同好会チーム扱いの『Honda熊本ハンドボール部』の2チームがある。前者は経費削減の為に現在は2部リーグのチャレンジ・ディビジョンに在籍し、後者は現在1部リーグ・2部リーグ共に参加せずに県内の各大会に参加するに留まっている。
鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎはホンダグループが建設し運営している。
その他の活動
地球温暖化対策の一環として、ホンダは「藻」を研究している。
「HONDA DREAMO(ホンダ・ドリーモ)」と名付けられたその藻は、大気中の二酸化炭素を効率よく吸収するとともに、その二酸化炭素を原料としたカーボンニュートラル燃料を生み出すことや、培養液のコントロールによってサプリメントなどの食料品を生み出すことをも視野に入れた研究を行っている。
主な製品
四輪
軽自動車
ゼスト バモス アクティ ビート(二輪車にも採用された事がある名称だったりする) S660
〜1500cc
ブリオ/ブリオアメイズ/アメイズ アヴァンシア/UR-V BR-V XR-V
1500cc〜2000cc
インテグラ(クイントを含む)
シビック(バラード・コンチェルト・ドマーニも含む)
2000cc以上
電気自動車・燃料電池車
二輪
飛行機
その他
関連項目
スーパーカブ(小説)…本田技研も小説・アニメで協力・監修している。
わんおふ…特別協賛として参加。
機動戦士ガンダムSEEDFREEDOM…作中にキラ・ヤマトとラクス・クラインが乗るバイクとしてゴールドウイングが登場しており本田技研も"協力"としてクレジットされた。他にもHAWK11も登場している。