ピクシブ百科事典

ルノー

るのー

フランス語圏の男性名、および姓。あるいは自動車製造会社の名前。
目次[非表示]

ルノー(Renaud, Renault)とは

  1. フランス語圏の男性名、およびイタリア語圏のリナルドにあたる。
  2. フランスパリに本社を置く自動車製造会社。ルイ・ルノーらによって創業された。 pixivでは2.の意味で使用される事がほとんどである。

発音について

 フランス語は基本的につづりと発音が完全に一致する言葉であるが、Rで表す音は英語の巻き舌の音ではない。具体的には英語のRの音が日本人にはLの音に聞こえるのに対し、この音はLの音には聞こえず、多くの場合、日本人の耳には不明瞭なHの音に聞こえるが、喉の奥から息を吐き出すところが同じであるものの、摩擦音が入っているところが異なる。
 ちなみに摩擦音を伴わないいわゆるHの音は一般的にフランス人には聞き取れない。また、Rに続くeの音はきわめてあいまいな弱音を表し、日本語ではう音に近いがう]やお]のように唇が狭まらないあいまい音となる。
 従ってフランス語圏での発音に一番近いカタカナ表記は「フノー」、あるいは(auが表す音は日本語のお音より唇が狭まらないお]であって長さにはよらない)場合により「フノ」である。
 しかしながら正確にはHの音でもくちびるを閉じて強く息を吐き出すFの音でもないため、フ]を当てるとすると、逆に日本語のふ音により近いfeでつづる音との区別がつかない。また、表記のRは一般的にラ行に当てるので、「ルノー」と表記されている。

「ルノー」という名の人物

実在の人物

  • ルイ・ルノー … フランスの自動車製造会社「ルノー」の創業者の一人。

架空の人物

自動車製造会社の「ルノー」

 フランスパリに本社を置く自動車製造会社。事実上子会社である日産自動車などを含めると、現状ではヨーロッパ最大の自動車会社である。PSA・プジョーシトロエン(プジョーシトロエンなどを所有する持ち株会社)と並ぶフランスの二大自動車企業の一方である。

 ルノー公団として国営企業であった時代が長く、現在もフランス政府はルノーの株を約19%保有している。経営幹部にはフランス政府の関係者が多く天下っている。

沿革

 1898年のクリスマスイブ、フランスの技術者ルイ・ルノー(1877~1944年)は、自分が発明したダイレクト・ドライブ・システム(プロペラシャフトを介したフロントエンジン・リアドライブのシステム)を採用した小型乗用車ヴォワチュレットパリ・モンマルトルのレピック通りの坂を登るデモンストレーションを行い、その場で13台分の注文を受けた。
 明けて1899年、マルセル、フェルナン、ルイのルノー兄弟により「ルノー兄弟社(ルノー・フレール)」が設立され、注文を受けた自動車を製造することになった。ヴォワチュレットは商業的に成功を収めた。また、ダイレクト・ドライブ・システムの莫大な特許料もルノーの経営を安定させた。
 1903年、「パリ-マドリード自動車レース」でマルセルが事故死し、1908年にフェルナンが健康上の理由で会社を去り、その後はルイが全てを取り仕切った。

 1908年には辻馬車の代替として開発した8CVがパリ市のタクシーに採用され、大量に受注。これを機にルノーは分業による大量生産に移行する。1914年のマルヌ会戦の時には、パリのタクシー630台が前線へ増援の兵士を輸送するために徴発され、フランス軍がドイツ軍の攻撃に耐え抜くことができたという「マルヌのタクシー」の逸話がある。
 1910年代にはフランス最大の自動車メーカーになっており、販売代理店を通した世界各地への輸出、1914年のペトログラード(ロシア)工場建設など、海外への進出も始まった。
 軍需産業へも進出し、戦車や装甲車、トラック、飛行機、航空用エンジン、船舶などの製造も盛んになった。1917年フランス陸軍に採用されたFT-17軽戦車はその後の戦車の基本形となり、多くの国が輸入・ライセンス生産した。
 1922年、株式会社化して「ルノー工場株式会社(ソシエテ・アノニム・デ・ユジーヌ・ルノー)」となる。しかし第一次大戦後の需要減や技術的停滞、販売戦略の失敗などにより、プジョーシトロエンに後れを取りフランス国内3位へと後退した。
 1939年に第二次世界大戦が勃発。フランスは1940年にナチス・ドイツに降伏し、ルノーはナチスに接収され、主力工場はイギリス軍アメリカ軍により空爆を受け破壊された。

 1944年、連合軍にフランスが解放されると、ルイ・ルノーは対独利敵協力の罪で逮捕され獄死した。ルノーは政府に接収され、1945年、シャルル・ド・ゴール将軍の命令により国有化され「ルノー公団」となる。
 1946年、戦時中から開発を進めていた小型車4CVが発表されベストセラーとなり、ルノーの再建に大きく貢献した。
 1961年、フランス乗用車史上最多の生産台数を記録したルノー4を発表。その後もルノー8ルノー12ルノー16などがヒットする。
 1972年、ルノー5を発表。この車のヒットにより、ルノーはヨーロッパNo.1メーカーとなった。

 1979年、アメリカン・モーターズを買収し、その販売網を使い'50年代の撤退以来久々にアメリカ市場に打って出るも、日本製やアメリカ製の小型車との競合で苦戦。アメリカン・モーターズを1987年にクライスラーへ売却して撤退する。
 1984年、現代的ミニバンの元祖とされるエスパスを発表し、大ヒット。多くのメーカーに模倣された。

 '80年代、ルノーの経営はアメリカ進出失敗などにより打撃を蒙っていた。財政再建のため、当時の会長ジョルジュ・ベスは労働組合の反発を受けながらも民営化へ向け動いていたが、1986年に極左テロ組織「直接行動(アクション・ディレクト)」に暗殺されてしまった。
 1990年、ルノーは公団から株式会社に改組され、1993年にスウェーデンのボルボとの経営統合が発表されるが、大株主であるフランス政府の横やりにより撤回される。民営化された現在も、依然としてフランス政府はルノーの大株主である。

 1999年、経営危機に陥っていた日産自動車を株式持ち合いの形で買収。当時副社長であったカルロス・ゴーンを社長として送り込み、会社の整理統合やブランドの刷新により経営を再建。買収時に約2兆円あった日産の有利子負債は2003年までに完済した。また、ルーマニアのダチアもルノー傘下となった。
 2000年、アジア経済危機により経営破綻した韓国の三星自動車を買収。ルノーサムスン自動車とし、再建に成功。
 2008年、ロシアのアフトヴァースを傘下に収める。

作る車の特徴

主に中小の乗用車や商用車を手掛ける。特にフランス車らしいしなやかな乗り味と、いくら腰掛けても疲れない上質なシートの評価が高い。「シートのせいでルノー車から離れられない」というドライバーもいるほどである。

モータースポーツ

 子会社のアルピーヌも含め、積極的にモータースポーツへ参加しており、公道レース、ラリー、エンデュランス、グランプリなどで活躍してきた。
 F1グランプリでは1977年の初参戦以来、コンストラクターとして35勝、エンジン・サプライヤーとして168勝を挙げている。

安全性

 市販車で初の四輪ディスクブレーキ採用など、古くから安全性の向上に力を入れている。また、運転中の危険回避を補助するESP(エレクトロニック・スタビリティー・プログラム)を積極的に採用し、自動車衝突安全性テスト「ユーロNCAP」において、2006年現在8車種が5つ星の評価を得ており、世界の自動車会社中最多である。

生産販売

拠点

 2006年現在、ルノー本体としてはフランス本国の他、スペイン、スロベニア、トルコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、モロッコなどに生産拠点を持ち、ロシア、ポルトガル、マレーシア、ウルグアイ、チリ、イランでノックダウン生産を行っている。

日本での販売

 1910年に水嶋商会を販売代理店として正式に日本市場に参入した。また1930年代には中外ルノーが輸入業務を行っていた時期があった。
 1953年から1963年まで日野自動車が4CVを日野ルノーとしてライセンス生産し、ルノーの名は日本全国に広まった。
 1977年、キャピタル企業が輸入権を獲得。1983年に日英自動車も加わり、輸入権は2社体制となった。
 1986年、ジヤクス・カーセールス(JAX) が輸入権を獲得したが、1991年にフォルクスワーゲンがJAXを買収し、ルノーの輸入は宙に浮く。
 1993年、ヤナセが子会社フランス・モーターズを設立したもののディーラー網を統一できず、利幅の低い低価格車しか売れなかった。
 2000年、ルノーの100%子会社であるルノー・ジャポンが設立されたが、ルノー本社のリストラが行われ、2007年に日産の子会社日産トレーディングに業務移管された。
 2012年4月2日より日産の完全子会社としてルノー・ジャポン株式会社(RENAULT JAPON CO.,LTD.)が再スタートした。

車種一覧

クリオ/ルーテシア(クリオGT、クリオR.S.)
メガーヌ(メガーヌエステートメガーヌR.S.)
カングー
トゥインゴ
コレオス
キャプチャー

関連タグ

曖昧さ回避 pixpediaで分割された項目

外部リンク

RENAULT JAPON CO.,LTD.
wikipedia同項目

pixivに投稿された作品 pixivで「ルノー」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 185246

コメント