本記事では社名変更後の「株式会社SUBARU」についても取り扱う。
概要
1917年創業の飛行機メーカー中島飛行機を前身とする重工業メーカー。現法人は1945年に設立したが、実質的な発足は1950年の富士産業(中島飛行機の後身企業)分割を経て旧中島飛行機系メーカー5社が合同した1954年である。
長年新宿駅西口の「スバルビル」に本社を置き、屋上には21世紀まであと〇〇日というカウントダウンメーターがあった(2001年に役目を終えて撤去)。その後老朽化もあり2010年に新宿を離れ、系列の販売会社・東京スバルの本社があった東京都渋谷区恵比寿に移転(東京スバルは文京区本郷に本社機能を移転)、2014年に現在の社屋となる「エビススバルビル」が竣工した。
1968年~1999年は日産自動車、2000~2005年までは米GM、2005年以降はトヨタ自動車が筆頭株主となっている。2017年4月に「株式会社SUBARU」に社名を変更した。
四輪車以外の事業
かつてはラビットスクーターのエンジンにルーツを持つ「ロビン」エンジンを核にした産業機器製造をはじめ、航空機製造で培った板金・木工技術を活用した鉄道車両やバスの架装、海外子会社のスノーモービル「ポラリス」の輸入販売、塵芥収集車「フジマイティー」や風力発電システムなどのエコテクノロジー事業、住宅事業など、企業規模の割に幅広い事業を手がけていたが、2000年代から2010年代にかけて大胆な「選択と集中」がはかられ次々と撤退、現在は四輪自動車以外の事業は航空宇宙事業のみになってしまった。
航空宇宙部門では、自衛隊向けの飛行機(例・T-1)の生産や、ボーイング777、ボーイング787などの部品製造、H-IIAロケットの部品製造なぞを手がける。現在の民間機ではほとんどがボーイングやエアバスなどの下請けの部品製造や共同開発にとどまるが、1965年から1986年にかけて独自の軽飛行機FA-200(エアロスバル)の製造・販売も行っていた。
小型汎用エンジン「ロビン」関連の事業は子会社の富士ロビンに分離の上マキタに譲渡され同社の「ラビット」ブランドに統合、一部機種と技術資産はヤマハに譲渡した。時を同じくして、ロビンエンジンを使用したスノーモービルを製造するアメリカ合衆国の子会社ポラリス・インダストリーズとの資本関係も解消している。風力発電事業は日立製作所、塵芥収集車事業は新明和工業に譲渡した。
あまり知られていないが、自動車の同業であるトヨタ・スズキと同様に長年にわたり小型のプレハブ住宅を製造していた。住宅部門はフジクオリティハウスとしてスピンオフし、ユアサ商事傘下企業として現在も健在である。
バス事業はボルボ製シャーシに架装したアステローペシリーズで知られたが、2000年に製造が打ち切られ、2003年にばバス事業自体からも撤退した。また、同年に鉄道事業からも撤退し、製造拠点であった宇都宮車両工場を新潟トランシスに譲渡している。鉄道関連は旧国鉄や第三セクター鉄道への気動車を始めとする技術供給が多く、その関係で当社が新製した気動車に本タグが付けられている場合もある。
そのほか、分割前の富士産業時代からラビットスクーターを生産していたが、(自社を含む)軽自動車や本田技研工業のスーパーカブの台頭に押され、1968年までに二輪車事業から撤退した。
四輪車事業
現在は四輪駆動のクロスオーバーSUVを中心に、水平対向エンジンを搭載した登録車に専念しているが、かつては直列エンジンの軽自動車やコンパクトカーも手掛けていた。詳細は「スバル(ブランド)」を参照。
これまでの主な製品
四輪車
二輪車
鉄道車両
関連項目
SUBARU(株式会社)スバル(ブランド) 富士重工 スバリスト
高谷裕亮 東明大貴:元富士重工業硬式野球部(現:SUBARU硬式野球部)に在籍していたプロ野球選手。
関連企業
中島飛行機:前身企業。
日産自動車:1968年~1999年の筆頭株主
ゼネラルモーターズ:2000~2005年の筆頭株主
トヨタ自動車:2005年以降の筆頭株主
スバルテクニカインターナショナル:100%子会社。
新明和工業:同上。塵芥収集車事業を継承
宮田工業 :一時期同社の自転車競技部「チームミヤタ」のスポンサーとなっていた。
アクアプラス :スバル車に特化したカープロショップ「AQUA」を前身とするゲームメーカー。