概要
第二次世界大戦前は川西財閥傘下の航空機製造会社「川西航空機」であった。
新明和の創業者も川西航空機の社長だった川西龍三である。
戦後、川西航空機は民需転換を図る中で社名を明和興業(めいわこうぎょう)に変更。
更に戦時補償債務打ち切りに伴う関連法の企業再建整備法により明和興業は吸収分割されることになり、自動車部門の明和自動車工業 (現・ダイハツ工業)と汎用機械部門の新明和興業という、2つの会社として再設立された。
1960年(昭和35年)に新明和興業は新明和工業株式会社に社名変更。
主な事業
- 航空機事業部
水陸両用航空機の救難飛行艇(離着水可能な飛行機)を製作しているほか、ボーイングやエアバスから航空機部品の開発・製造を受託している。
二式大艇の伝統を受け継ぎ、PS-1、US-1/US-1A、US-2を送り出した。
- 特装車事業部
特装車製品、ダンプトラック(天突きダンプ)・荷役装置付き運搬車(すいちょくゲート)・塵芥車(ごみ収集車)、ミキサ車、タンクローリ、散水車等。
- 産機システム事業部
自動電線処理機、環境システム、真空成膜装置、BUILT-IN DDモータシリーズ等
- 流体事業部
水処理機器
- パーキングシステム事業部
パーキングシステム、タワー式駐車設備を扱う。
その他
- 局地戦闘機「紫電」の伸縮式主脚などの油圧技術を応用して、理髪店用の昇降椅子の製造販売も手掛けていた事もある。(2008年3月に撤退。)
- 和歌山県高野山の奥の院参道(中の橋)入り口にロケットの形をした新明和工業の物故者慰霊碑が建立されているが、高野山の観光名所化している。
- 一方、高野山の一の橋入り口にも、新明和工業の航空被害者慰霊碑がある。結果としてではあるが新明和工業は高野山に2つの墓所を持つ企業となっている。
関連タグ
三菱重工業:航空機産業の同業。
川崎重工業:同上。