経歴
1972年8月13日生まれ、宮崎県都城市出身。ポジションは投手。
兄は元プロ野球選手の入来智。弟・入来博之はTDK硬式野球部所属のアマチュア野球選手だった。
PL学園高、亜細亜大学、本田技研工業を経て、1996年のドラフト会議にて読売ジャイアンツから1位指名(逆指名制度適用)され入団した。
「日本一厳しい高校野球部」で知られていたPL学園高と「日本一厳しい大学野球部」で知られた亜細亜大学を卒業している選手として、プロ野球ファン界隈では話題になることがある。因みにPL学園高と亜細亜大学を卒業してプロ野球に進んだ選手は歴史上入来のみである。
現役時代
- 1年目・1997年は主に中継ぎで起用され、チーム最多の57試合に登板。2年目・1998年のシーズン途中に中継ぎから先発へ転向し6勝を挙げた。
- 1999・2000年。兄の入来智がこの2年間巨人に在籍していたため、スコアボードでは「入来弟」と表記された。1999年シーズン終了後、右足首靱帯の修復手術を受ける。
- 2002年はチーム最多の13勝を挙げ「最高勝率」の投手になったが、最多勝のタイトルにはあと一歩届かず。
- 右腿裏の肉離れの影響で2003年は登板が無く、この年のオフに井出竜也とのトレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍した。
- メジャーリーグへの挑戦はプロ入り当時から考えており、ポスティングシステム適用を日ハム球団は容認していた。2005年は先発ローテーションに入り、オフに(ポスティングシステムは適用されなかったが)ニューヨーク・メッツとのメジャー契約に合意する。
- メッツ時代は開幕枠に残れずマイナー止まり。シーズン途中禁止薬物違反で処分を受けその後退団、2007年はトロント・ブルージェイズとマイナー契約したが、メジャーリーグでの登板が叶わないまま退団。日本球界への復帰を決めた。
- 2007年10月に横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)へ入団。しかし再び右腕の肉離れが発生し2008年は3試合のみの登板に終わり、現役を引退した。
裏方・コーチとして
- 現役引退後は球団職員として横浜球団に残り、打撃投手や用具係を担当。2014年にはサントリーの「BOSS」のCMにDeNAの用具係として登場、宇宙人ジョーンズと共演した。
- 工藤公康が福岡ソフトバンクホークスの監督に就任すると、ソフトバンク球団からコーチ就任のオファーがあり三軍投手コーチへ就任。一時期2016年は二軍投手コーチ、2020年はホークスジュニアアカデミーコーチに回っていた。
- 2021年から2023年まではオリックス・バファローズで投手コーチをしていた。首脳陣の一軍・二軍の区別が撤廃されているが、彼は主に二軍のほうを担当。
- 2024年からは横浜DeNAベイスターズに戻り、二軍チーフ投手コーチに。