概要
(1951年12月25日 - 2016年4月23日)。
息子に元プロ野球選手の山本武白志がいる。
1975年、読売ジャイアンツから5位指名を受け、入団。
1976年から一軍で起用されるが、本来の守備位置である一塁手には王貞治がおり、外野手も兼ねて出場機会の確保を目指す。
1980年は7試合に四番打者として起用された。同年オフに王貞治が引退。
1981年には中畑清と一塁手の定位置を争う。守備には定評があったが打撃面での不調もありレギュラーは奪えなかった。
1984年は、三宅宗源との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍。同年は開幕から一塁手、五番打者に定着し、初めて規定打席に到達、打率.301(9位)を記録している。
1985年も中心打者として活躍、打率.293(14位)の好成績を挙げ、1984年から2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。
1986年は開幕から落合博満が一塁手に回り、左翼手として起用される。6月には一塁手に戻るが、この結果出場機会が大きく減少する。
1988年は愛甲猛が一塁手に定着、コーチ兼任となり同年限りで現役を引退。
引退後は解説者や指導者として活躍した。
監督・コーチ歴
ロッテオリオンズ
千葉ロッテマリーンズ (1988 - 2003)99~03まで監督
読売ジャイアンツ (2004 - 2005)