曖昧さ回避
コーエーテクモの社内開発チーム『TeamNINJA』の詳細はこちらへ
概要
初出は1984年に発表したGPZ900R(メイン画)の北米仕様に付けた愛称だった。
後に大排気量から小排気量まで様々な車種にNinjaの名前が与えられており、カワサキのスポーツバイクの代名詞にまで成長した。
そしてこの斜めになった「Ninja」ロゴだが、これはFAX送信時のミスが引き起こした偶然でこの形になったとされる。
勿論、カワサキの登録商標である。
バリエーション
Ninjaの名を冠する車種は数多いが、仕向け地や仕様によってNinjaを名乗らないモデルも多く、全容の把握は難しい。
以下は特に知名度の高いモデルである。詳細は個別記事を参照されたし。
GPZ900R(1984~2003年)
元祖Ninja。
当時「空冷イレブン時代」とも言われた空冷1100ccエンジン全盛時(もちろんカワサキからもGPZ1100がリリースされていた)に、あえて小型・高出力の水冷エンジンと、高張力鋼で構成された絞り込んだフレームの組み合わせで、「世界最速」の称号を得た。
発売当初はその先進性が災いし、販売は振るわなかったが、映画『トップガン』への出演をきっかけに大ブレイク。
世界各国で、(生産停止期間を挟みつつ)20年近くに渡り、累計80000台が生産されるという、ベスト&ロングセラーとなった。
また、このエンジンもZ400FXなどと同様に改良が重ねられ、2016年に最終モデルがリリースされたZRX1200DAEGまで用いられた。
ZX-12R(2000~2006年)
先行するホンダ・CBR1100XX“ブラックバード”、スズキ・ハヤブサなど、最高速度300km/hオーバーを謳う、通称「メガスポーツ」勢を追撃すべく開発された。
量産車で初めて採用されたバックボーン型モノコックフレームに、二軸二次バランサー装備のエンジンをリジットマウントする野心的な設計・構造で、ノーマルで300km/hを軽く突破する性能を発揮。「世界最速」奪還を待望していたカワサキファンを歓喜させた。
しかし、剛性の高すぎるフレームや、幅広のタイヤ、非力なブレーキ、低速トルクの細いエンジン特性などの要因から、「速いだけで、曲がらない、止まらない」という悪評が付き、直後に制定された自主規制の関係で世界最速の座も奪えなかった。
後期型(通称:B型)で大幅な改良が加えられ、悪評はかなり払拭できたが、商業的には成功作とは言い難く、メガスポーツ3モデルの中では最も早く、2006年に生産終了となった。
マンガ『ばくおん!!』の川崎来夢の愛車。ちなみに、手強いとされる前期型(通称:A型)である。
Ninja250(2008年~)
250ccクラスの世界戦略車として企画された。
当時は排ガス規制直後で小排気量のスポーツバイクが激減していたことから注目を浴び、発売直後から世界中で大ヒットを記録。
後にライバルメーカーが類似の車種を発売して対抗した結果、フルカウルスポーツブームを起こし、それまでのビッグスクーターブームに引導を渡した。
上記2車種のような尖った性能は無いが、現在のカワサキの二輪部門を支えていると言っても過言ではない重要な存在である。
愛称として
GPZ900R以来、総じてサーキット走行や最高速に主眼を置いたモデルに与えられてきた愛称である事から、特に日本国内においてNinja250の発売時には「これはNinjaではない」などと反対する意見がネット掲示板やGPZ系のオーナーズクラブから上がった。
現在では殆ど聞かれなくなったが、今でもTwitterなどでは、小排気量Ninjaを「下忍」などと蔑む者もいる。
しかし、Ninjaという名はあくまでカワサキの商標であり、そこにスポーツ性などの基準は一切ない。
カワサキ自身もNinjaの定義を公表したことは一度もなく、上記のような意見は外野の勝手な線引きに過ぎない。
カワサキがNinjaと名付ければ、それは全てNinjaなのである。
ライバルだと、ホンダが単気筒のCBR250R(MC41)を発売した時にも同じような反対意見が市場から出た。
こちらも現在ではほぼ治まっている。
関連タグ
OH-1(これにも「Ninja」の名が付く。奇しくも同じくカワサキ(川崎重工業)製である。)
同じく「NINJA」が付くもの
- Team NINJA(コーエーテクモ(旧:テクモ)内の社内開発チームのチーム名。デッドオアアライブシリーズなどを製作。アーケード版ディシディアファイナルファンタジーも担当)⇒〈wikipedia〉
- NINJA STUDIO(独立系ゲーム開発スタジオ。降魔霊符伝イヅナなど製作。⇒〈wikipedia〉
- Ninja(ストリーマー)(当該記事を参照)