川崎造船所とは、1878年に実業家 川崎正蔵が東京築地に設立した川崎築地造船所を始祖とする造船業者。
後に兵庫県神戸市に本拠を移す。現在の川崎重工業の前身となる会社である。
黎明期こそあまり注目される存在ではなかったものの、神戸港にあった官営のドックの払い下げを受けて小型艦艇の建造や、日清戦争において損傷を追った艦艇の修理を請負う事で技術力を伸ばした。
概要
川崎造船所は商船や貨物船の他に戦艦や重巡洋艦などの大型の軍艦の建造に関しては、三菱重工業と並び称される民間造船所の名門であった。
1915年に国内の民間造船所では初めて戦艦「榛名」を竣工させ、その技術力と名声を確たるものにした。
榛名と同時に三菱重工長崎造船所では戦艦霧島が竣工しており、こちらも民間造船所初の戦艦建造という快挙を成し遂げた。
また、1906年に国産初の潜水艦を建造している。
太平洋戦争終結までに、戦艦、航空母艦を筆頭に巡洋艦、駆逐艦、潜水艦や補助艦艇に至るまで幅広く手掛けていた。
経営の多角化
- 鉄道車輌
1906年より参入を決める。不況に左右されにくく現在でも安定した業績を維持する。
- 航空機
1918年に航空機分野へ参入を決定。1937年、航空機部門を川崎航空機として分社化。
戦後、主にいすゞ自動車と関係が深かったバス車体製造事業は、下記の自動車事業ではなく川崎航空機の系譜である。
- 自動車
自動車分野へは1918年に参入。陸海軍や鉄道省などと結びつきが強く主にトラックやバスといった大型車を得意とした。
戦後、多くのメーカーと同様に民生品への転換を図ることとなり、1958年から小型オートバイ製造事業を興して今日まで続くオートバイメーカーとなったものの、乗用車の開発は頓挫してしまったため自動車メーカーとなることは叶わなかった。
1939年、造船に留まらない経営の多角化という実情を反映し、社名を現在の川崎重工業している。
2002年に川崎造船として川崎重工業から分社化されるも、再び吸収されて現在では川崎重工業船舶海洋カンパニー(wikipedia)として護衛艦などの建造を請負っている。
太平洋戦争終結までに竣工した軍艦
戦艦
- 榛名
- 加賀(船体のみ。後に空母に)
航空母艦
- 飛鷹(改造空母)
重巡洋艦
軽巡洋艦
- 熊野(改装後重巡洋艦に)
水上機母艦
駆逐艦
- 神風型(Ⅰ):「朝風」「春風」「時雨」「初春」「卯月」
- 樺型:「楠」「梅」
- 磯風型:「時津風」
- 樅型:「梨(Ⅰ)」「竹(Ⅰ)」「菊」「葵」「蔦」「葦」
- 若竹型:「若竹」「呉竹」
- 初春型:「有明」
- 朝潮型:「荒潮」「朝雲」
- 陽炎型:「初風」
- 橘型:「梨(Ⅱ)」
潜水艦
(※伊号のみ記入)
- 伊1型:「伊1」「伊2」「伊3」「伊4」「伊5」「伊6」
- 伊7型:「伊8」
- 伊9型:「伊10」「伊11」「伊12」
- 伊13型:「伊13」「伊14」
- 伊15型:「伊21」「伊23」
- 伊16型:「伊22」「伊24」
- 伊168型:「伊71」「伊73」
給糧艦
海防戦艦(輸出)
ガントリークレーン
戦艦榛名の起工に先駆けて神戸造船所には巨大なガントリークレーンが建てられた。
長らく神戸港の顔として多くの写真や絵葉書に登場し、その威容を誇っていたが1962年に解体された。
晩年の映像。