旧日本海軍の駆逐艦。朝潮型駆逐艦4番艦。
1935年に神戸川崎造船所で起工。他に同造船所で建造された朝潮型は5番艦の朝雲。
1937年に進水、1938年に竣工。前年に他の朝潮型3隻(朝潮、大潮、満潮)によって編成されていた第二十五駆逐隊に編入した。
1939年に舞鶴鎮守府から横須賀鎮守府へと転籍し、第八駆逐隊へと改名。以後除籍されるまで第八駆逐隊所属であった。
1943年輸送船団の一員としてラバウルを出撃後、連合国軍の爆撃機隊に見つかり輸送船8隻が全滅。護衛していた荒潮も甚大な被害を受け、陸兵と負傷者を朝潮に移乗したのち漂流。その後雪風に発見され、残留員など約170名の乗員を救助し荒潮は放棄された。米国の資料によると荒潮はその後も漂流を続け、連合国機に発見され500ポンド爆弾が第一煙突に命中、荒潮は沈没した。
1943年3月4日戦没。同4月1日除籍。