川崎造船所(1906~1928)
⇒川崎車輛(1928~1969、分社化)
⇒川崎重工業(1969~2001、吸収合併)
⇒川崎重工業車両カンパニー(2001~2021)
⇒川崎車両(2021~現在、分社化)
概要
1906年に操業を開始した「川崎造船所」の兵庫工場が起源。1928年に鉄道製造部門が「川崎車輛」として分社・独立するが、経営戦略の過程で1969年に親会社「川崎重工業」へ一旦吸収合併。2001年に「社内カンパニー」制へ移行したものの、権利業務は親会社「川崎重工業」が保有する体制が続いた。
その後、鉄道システム全体におよぶ需要に対し、機動的かつ柔軟に取り組んでいく体制を整えるために再度分社化することを「川崎重工業」内で決定。2021年3月10日付で分割準備会社「川崎車両」を設立、そして車両事業に関するすべての権利義務を2021年10月1日付で親会社から譲受した(正式発足)。文字の字体が異なるが、「川崎車両」の名称が約半世紀ぶりに復活することになった。
特徴
日本の鉄道工場としては唯一、工場構内を市道が踏切を使って貫通している事で有名。この市道貫通は、車両搬入口とJR西日本和田岬線を繋ぐ引き込み線周辺と、工場構内の試運転線や工場ピットが密集している所に存在している。そのため、搬出前の車両や製造途中の車両達が公式発表前に激写される事態も度々発生している。
因みに以前関西系番組で「この工場構内を貫通している市道について対処を考えていないのか?」と質問されていたが、取材に応じた工場関係者は「市道は神戸市が持っている物なので工場単体では撤去が出来ない」とも取れる発言をしている。