概要
松型は旧日本海軍の駆逐艦の艦級の一つ。一番艦の艦名が「松」(2代目)だったことからその名がある。「松型」「丁型駆逐艦」とタグ付けされていることもある。特に本タグを用いず「松型」タグのみで登録されているイラストも一定数存在するので、検索の際は「松型」で部分一致検索を行う事が望ましい。
うち、丁型の丁は甲乙丙丁の丁で、甲型駆逐艦(陽炎型・夕雲型)・乙型(秋月型)・丙型(島風型)に続く4番目のタイプであることを示す。
解説
駆逐艦は、もとより艦隊行動をとれる艦種のなかで最小・最多で、攻撃にも護衛にも偵察にも何にでも便利に使われるものであったが、それだけ出し惜しみされず矢面に立たされるということで損耗が多かった。特にガダルカナルから始まる南東方面(ソロモン方面)の戦いで、昼は航空攻撃・夜はレーダーを備えたアメリカ艦隊をかいくぐり、襲撃・護衛・ついには自ら輸送艦として(鼠輸送)した結果、損害はうなぎのぼりとなった。それに耐えかねた海軍が戦時量産型として設計したのが松型である。
二等駆逐艦(基準排水量1,000t以下)に付ける樹木の名前が与えられ、「雑木林」と呼ばれた。
とにかく数優先で、性能は駆逐艦として艦隊行動ができる最低限まで抑えられた。27.8ノットしかでない低速(アメリカの新鋭戦艦ノースカロライナ級などは27ノット、1ノット弱の差ではまともに魚雷攻撃位置につくことは難しい)、短い航続距離、主砲も魚雷も甲型の半分しかないことなどである。
性能・武装をいろいろ削っただけあって排水量も甲型の7割程度に抑えられた。その船体も安い鋼材で直線的に作られ手間が省かれた。
しかし、主砲を対空砲(89式12.7センチ高角砲)にして航空機の強いこの時代に合わせたり、エンジンを2組前後に配置して、一度に動力が失われないようにしたり(シフト配置)と、必要なところには手を配っている。
1944年4月28日に一番艦「松」が竣工。護送任務だけでなくエンガノ岬沖海戦などの艦隊決戦にも使用され、敗戦まで残り1年余りの一番厳しい時期を戦った駆逐艦となった。
のちに、さらに工事簡易化を進め、四式水中聴音機を搭載して対潜能力を強化した橘型に切り替えられた。
尚、日本海軍水上艦による最後の水雷戦にはこの松型に属する駆逐艦が参加している(潜水艦も含めると「伊号第五十八潜水艦」による米重巡洋艦「インディアナポリス」撃沈が最後)が、肝心の最後の水雷戦がどれかについては以下の4つの説が存在している。
- 「竹」(第七次多号作戦従事中に発生したオルモック夜戦。対戦闘艦戦にて魚雷を発射し、かつ敵艦撃沈の戦果を挙げた最後の例)
- 「桐」(第九次多号作戦従事中、同じくレイテ島上陸船団の護衛をしていた米駆逐艦群と睦月型駆逐艦「夕月」とともに交戦。対戦闘艦戦にて魚雷を発射した明確な記録が存在している最後の例)
- 「樫」・「榧」(礼号作戦にて朝潮型駆逐艦「霞」とともに魚雷を持ちて戦闘を行い、輸送船撃沈の戦果を挙げている。日本海軍の水上艦が魚雷を発射した明確な記録が存在している最後の例)
- 「檜」(ルソン島リンガエン湾上陸船団の護衛をしていた米駆逐艦群との戦闘において、米軍側から魚雷発射管付近からの発光が目撃されている。日本海軍の水上艦による魚雷発射らしき記録が残っている最後の例であるが、この戦闘で檜は沈没しており、真相は定かではない)
同型艦
松型駆逐艦『松』以下、艦艇類別等級表で『松型駆逐艦』とされる『橘型』も含め、32隻が建造された。
【松型】
松(まつ) 竹(たけ) 梅(うめ) 桃(もも) 桑(くわ) 桐(きり) 杉(すぎ) 槇(まき)
樅(もみ) 樫(かし) 榧(かや) 楢(なら) 櫻(さくら) 柳(やなぎ) 椿(つばき) 檜(ひのき)
【橘型】
柿(かき) 樺(かば) 橘(たちばな) 蔦(つた) 萩(はぎ) 菫(すみれ) 楠(くすのき)
初櫻(はつざくら) 楡(にれ) 梨(なし) 椎(しい) 榎(えのき) 雄竹(をだけ) 初梅(はつうめ)
戦後の松型
終戦時には松型・橘型は18隻が航行可能状態で残存していた。それらは戦後復員輸送に使われ、その後連合国に戦時賠償艦として引き渡された。中華民国やソ連は引き渡された艦を自国の海軍に編入して使用した。また、未成艦の一部は防波堤として使われた。
海上自衛隊初の小型護衛艦であるいかづち型護衛艦は、松型・橘型と甲型海防艦をタイプシップとして建造され、白露型駆逐艦をタイプシップとして建造されたはるかぜ型護衛艦、そして「わかば」と改称された橘型の一隻「梨」とともに、初期の護衛艦隊を担った。
また、梨以外の艦の艦名も、一部はくす型護衛艦(旧アメリカ海軍タコマ級フリゲート)やゆり型警備艇(旧アメリカ海軍上陸支援艇)に継承された。