この名を持つ日本海軍の艦船としては桃型駆逐艦「桃」に続いて2隻目となっている。
概要
舞鶴海軍工廠にて建造、1944年6月10日竣工。当初は訓練部隊であった第十一水雷戦隊に編入され、後に姉妹艦の松、竹、梅とともに第四十三駆逐隊を結成、程なく新設された対潜掃討部隊である第三十一戦隊(旗艦:五十鈴)に編入される事となる。
第三十一戦隊結成後は龍鳳、海鷹の台湾方面輸送を、続いて伊勢、日向の南方進出に護衛として随伴している。
伊勢、日向の護衛を終えた第三十一戦隊は南沙諸島からマニラへと向かったのだが、その途中11月19日に旗艦五十鈴が米潜水艦ヘイクの雷撃で損傷、修理の為シンガポールへと下がる五十鈴を護衛したのが桃であった。
シンガポール到着後、25日に五十鈴に代わって第三十一戦隊旗艦となった霜月を護衛しつつマニラへ再出撃したが、直後その霜月が米潜水艦カヴァラに雷撃され轟沈、第三十一戦隊司令部が全滅してしまう。
残った桃は、生存者を救助した後、単艦マニラに到着している。
マニラに到着した桃はレイテ島行きの多号作戦に参加、12月5日第八次船団の一員として出撃する。
途中、目的地のオルモック湾に米軍が上陸した事から目的地をサン・イシドロに変更、7日に無事到着して兵員の揚陸には成功したものの、米陸軍・海兵隊の爆撃を受けて銃火器揚陸に失敗、輸送船も沈没や座礁を起こして壊滅してしまう。
その後9日にマニラに帰投したが、その5日後に第38任務部隊艦載機による空襲を受け大破してしまう。
翌12月15日に修理のため馬公へと出港したが、その晩米潜水艦ホークビルに発見され雷撃を受け、そのまま轟沈した。
1945年2月10日除籍。