説明
大日本帝国海軍に実在した、秋月型駆逐艦の7番艦。艦名はその名の通り、11月の雅称から。8番艦の冬月からは船体が大きく変わるため、書類上の秋月型としては、最後となった。
1941年度のマル急計画において、1942年7月6日三菱重工業長崎造船所で起工され、1943年4月7日に進水された。進水後は機関の搭載を待っていたが、製造が遅れていた。そこに、雷撃により艦首が脱落して7月5日に長崎に入港してきた秋月を復旧する際、当初は1944年1月末に修理が終わるスケジュールが立てられていたが、復旧工事が急がれたため、75番フレーム(船首楼最後部)より前を切断し、秋月と結合させた。その甲斐あって、秋月は10月31日に修理が終わり、早期に戦列に復帰した。この工事の影響により、艦首はもう一度作り直されている。1944年3月31日に竣工した。
マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦に参加。1944年11月24日、潜水艦の攻撃により損傷した五十鈴の代わりに第三十一戦隊旗艦となるも、翌日未明に米潜水艦の雷撃を受け、五十鈴より移乗していた戦隊司令部もろとも沈没した。
1945年1月10日除籍。