概要
秋月型駆逐艦の3番艦である。艦名は「さわやかに澄みきった秋の月」からきている。1939年度第四次海軍軍備充実計画による乙型一等駆逐艦の一つとして建造され、1942年3月4日に進水、1942年12月29日に竣工された。
完成後物資輸送護衛などの任務に就き、1944年1月16日に米潜水艦スタージョンの魚雷により艦首の大部分と艦尾を喪失し僚艦に曳航され呉海軍工廠に帰還し修理、同年10月17日にも米軍潜水艦の魚雷により艦首の一部を喪失するが撃沈されず帰投している。艦首の復旧時に新造された艦橋は、形状を簡易化した角ばったものとなった。就役した艦でこの形状を持つものは涼月のみである。
しかし、捷一号作戦直前に冬月と共に雷撃の損傷のため参加できず、菊水作戦時には戦艦大和と共に出撃した。
戦闘中に艦橋近くに直撃弾を受け、大浸水を来たす。戦闘終了後、火災のため弾薬の一部が誘爆し艦が前方に傾斜したため前進不能になり、駆逐艦長判断によって後進での航行を余儀なくされる、磁気コンパスが狂い南東に進む、海図が全て燃え乗組員の記憶で日本地図を作成する、さらに雷撃を受けるも後進での操艦により難を逃れるなど、佐世保に満身創痍で帰投した逸話が残る。すでに沈没したと思われており、生還の知らせは驚きをもって迎えられた。直ちにドックへ入れられたが、ドックの排水を待つことができず着底してしまうという、まさにギリギリの帰還だった。
帰投後は防空砲台として使用されて終戦を迎える。終戦後はそのままの姿で砲身が全て下げられ、「国際法の知識を物語っている」とされた。1948年解体され、船体は福岡県北九州市の防波堤に使用された。現在は埋め立てられている。
戦争を通じて三度の被害にあったがいずれも生還した幸運艦であった。
関連イラスト
余談
本艦の正しい読みは「すずつき」なのだが、映画『連合艦隊』や小説『紺碧の艦隊』など昭和末期から平成初期の映画や架空戦記では「りょうげつ」と誤った読み方をされることが多かった。
関連タグ
涼月をモチーフとした艦船擬人化キャラクターについては、以下の記事も参照のこと。
秋月型駆逐艦の涼月よ!秋月、初月たちと第六十一駆逐隊に所属し、阿賀野の救援任務に参加したんだ! まあまあ活躍できたよ!2回の被雷や坊ノ岬沖海戦でピンチになったけど生き残れたんだよ!
駆逐艦涼月です。次の作戦計画は?…うんふーうむ、わかったわ
秋月型防空駆逐艦「涼月」です。皆さんを……皆さんをいつまでもお護りできるよう、私……頑張ります。よろしくお願いします!