説明
秋月型駆逐艦の11番艦。次級の花月(駆逐艦)からは、さらに改良を加えていた為、書類上の冬月型としては本艦が最後となった。佐世保海軍工廠で1944年2月10日に起工され、同年10月10日進水。1945年4月8日に竣工し、呉鎮守府籍となった。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により佐世保での建造に変更された。また、当初は昭和20年3月末の竣工予定だったが、機銃の入手遅延により竣工期日が遅れた。
第三十一戦隊、軽巡洋艦「北上」、駆逐艦「波風」とともに海上挺進部隊を編成された。次いで5月25日付で第四十一駆逐隊に編入し、この間の5月3日には第十一水雷戦隊の臨時旗艦を務めた。6月16日、六連島灯台で触雷し小破。佐世保に曳航の上、佐世保海軍工廠で7月1日から25日の間修理を行った。終戦を門司で迎えた。本艦が秋月型の中で完成が最後で終戦まで4ヵ月ほどであり、大規模な戦闘には参加出来なかった。
戦後、復員輸送に従事。1947年戦時賠償艦としてイギリスに引き渡されたが日本国内で解体された。