説明
秋月型駆逐艦のネームシップ。艦名は秋の月。対空能力に優れた防空型駆逐艦として開発され、太平洋戦争に参戦したことで有名である。
1942年6月11日に舞鶴工廠で竣工された。竣工直後、日本本土に空襲をかけるため接近中のアメリカ機動部隊迎撃のため、空母瑞鶴の護衛として出撃。その後、同年8月に南東方面に進出され、ガダルカナル増援作戦等に従事した。だが、10月にソロモン諸島に向かう途中、攻撃してきたB-17を1機撃墜した。第四水雷戦隊旗艦として行動中、空襲を受けて中破する。修理後は第十戦隊旗艦として鼠輸送に従事した。
1943年1月20日、輸送船妙法丸救助に向かったところ、その際米潜水艦の雷撃が右舷缶室下に命中。かろうじてトラック島に寄港できたものの、応急修理に40日以上を費やした。サイパン島に寄港し佐世保に向かうこととなったが、その後突然、艦橋下の構造物が切断した。やむなくサイパンに戻り、艦橋を撤去した。強度が落ち折れ曲がった船体前部を切断し長崎に帰還、建造中だった霜月の艦首を流用して接合することで修理工期短縮を図ったが、それでも修理に9ヶ月を要することになる。
1944年10月25日エンガノ岬沖海戦に参加したが、機動部隊の援護射撃中爆発、沈没する。これは、「味方空母(瑞鳳)に接近した魚雷を自分が犠牲になって受けたため」とも、「味方が打ち上げた高角砲弾の破片、または機関銃弾の不発弾が魚雷に当たり誘爆した(当時の艦長の憶測)」ともいわれている。また、機関科士官として秋月に乗り込んでいた山本平弥は、著書「防空駆逐艦『秋月』爆沈す」(光文社NF文庫)の中で、敵機の爆弾命中による魚雷誘爆が原因という説を唱えている。一部の書籍ではアメリカ軍潜水艦の攻撃によるとするものがあるが、雷撃した時刻と沈没した時刻との関係からこれには否定的な見解が多い。
1944年12月10日除籍。
艦名「秋月」は「あきづき」として海上自衛隊所属の護衛艦の艦名に2代に渡り継承されている。