秋月型駆逐艦の9番艦。冬月からは艦首が変わったため冬月型2番艦に分類する分類法もある。艦名は、春の月。
1941年度計画による乙型一等駆逐艦の第362号艦として佐世保海軍工廠で1943年12月23日に起工され、1944年8月3日に進水。同年12月28日に竣工した。当初は三菱長崎造船所で建造される予定であったが、線表改訂により佐世保海軍工廠での建造に変更された。
就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入する。だが、乗員の練習度不足により、訓練のため1ヵ月間の猶予を申し出た。また、戦隊旗艦および司令駆逐艦として使用するために艦橋後部の拡張工事が行われ、拡張部を含めた艦橋は、他の秋月型駆逐艦諸艦のそれより大きく取られた。艦橋重量が増したため、他の冬月型が備えた艦橋左右への機銃台設置は春月では行われなかった。1月20日に佐世保を出港して瀬戸内海に回航された。
訓練終了後、3月6日に呉を出撃し、第一〇三戦隊は鎮海警備府護衛部隊に編入された。3月8日に鎮海に到着し、合流してきた海防艦隠岐、第19号駆潜艇を率いて3月15日に荷衣島に進出した。対潜作戦と海上交通保護作戦の指揮を執り、7月1日に佐世保に帰投し、8月15日の終戦を呉で迎えた。
同年10月5日除籍。その後は復員輸送艦となる。横須賀で特別保管艦として係留の後、1947年8月25日に佐世保を出港してナホトカに向かい8月28日に到着後、ソ連に賠償艦として引き渡された。
賠償艦時代
1947年7月7日付けでソ連海軍に登録され、1947年8月28日にソ連海軍へ引き渡され、太平洋艦隊に編入された。引き渡し当時は武装解除された状態であったが、艦の状態は良好であった。9月25日付けで「ヴネザープヌイ」と改名された。艦名は、「突然の」という意味のロシア語の形容詞である。類別は日本時代に引き続き駆逐艦とされ、第5艦隊第63駆逐艦隊に配属された。第5海軍第0211号指令により、ヴネザープヌイは1948年4月15日から丸一年にわたり保管状態に入れられた。その後、1949年4月28日から修復工事が開始された。6月17日付けで練習艦に類別を変更され、艦名を「オスコール」と改められた。オスコールとは、ロシア・ウクライナを流れるドネツ川の支流であるオスコール川による。練習艦とするために受けた改修により、艦にはジャイロコンパス、測程器、音響測定儀、電波方位測定儀、5 基の磁気コンパスといった新しい航法装置、KVおよびUKV送信機とKVおよびVV受信機からなる通信装置などが搭載された。また、武装としては37 mm自動砲21 門が搭載された。計画されたレーダーやソナー、対化学兵器防護装置などの設置は見送られた。
解体へ
1955年元日から浮き兵舎に類別を変更され、同年3月12日付けでPKZ-65(ПКЗ-65)に名称を改められた。同年6月2日には標的艦に類別を変更され、名称もTsL-64(ЦЛ-64)に改められた。1965年9月18日付けで再び浮き兵舎に戻され、名称はPKZ-37(ПКЗ-37)となった。PKZ-37 は1969年6月4日付けでソ連海軍を除籍され、解体された。