柳(駆逐艦)
やなぎ
2017年3月31日現在、どちらの柳に関してもpixiv上では擬人化イラストがごく少数ながら確認されている。メイン画像は、このうち初代の擬人化イラストである。
概要
佐世保海軍工廠にて建造、1917年5月5日竣工。同型艦の桃、樫、檜とともに第十五駆逐隊(後に第二四駆逐隊に改番)を編成する。
第一次世界大戦中には後に『地中海の守護神』と称されるようになる第二特務艦隊の増援部隊として地中海に派遣され、また第一次上海事変では揚子江水域の作戦に参加している。
1937年に改白露型と交代する形で第二十四駆逐隊を離脱、1940年に除籍後は佐世保海兵団の練習船として利用されて終戦を迎えた。
戦後は福岡県若松市(現在の北九州市若松区)の若松港に涼月や冬月(ともに秋月型)とともに沈設され防波堤として現在まで利用されている。後に防波堤がコンクリートで周囲が埋設されながらも完全にコンクリートに覆われた他の2隻とは異なり船体の一部がコンクリート上に現れる形となっている。風化が進んでおり辛うじて船体が形を留めている程度ではあるものの、戦艦三笠や運送艦宗谷と並び日本国内にて現在でもその姿を見る事の出来る数少ない旧日本海軍艦船のひとつとなっている。
概要
藤永田造船所にて建造、1945年1月18日竣工。同型艦の楢、桜、椿、欅及び改設計型である橘型の橘とともに第五三駆逐隊を編成、特に就役時期の近い橘とは長らく同一行動が多かった。
橘とともに大湊警備府に配属された後は主に函館を根拠として津軽海峡の警戒に従事。7月14日の函館空襲(詳細は橘の記事参照)では僚艦の橘が直撃弾を受けて沈没した一方、柳はロケット弾攻撃を受けて艦尾を喪失し航行不能状態に陥りながらも辛うじて生き延び、福島町の住民の助けを受けつつ大湊に帰投。続く8月9日の大湊空襲にて再び損傷を受けた事により大破、海岸に擱座した状態で終戦を迎える事となった。先代とは異なり、艦体は戦後に解体されている。