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曖昧さ回避編集


本項では2代目について解説する。


概要編集

舞鶴海軍工廠にて建造、1945年3月31日竣工。

第十一水雷戦隊に配属され瀬戸内海西部で訓練に従事するも、アメリカ軍による機雷封鎖を避けるため5月27日に舞鶴に移動。しかし今度は「空襲の際に(艦艇がいる事が)刺激となる」という舞鶴鎮守府の懸念を受けて翌月小浜湾へと回航される事に。

6月26日、錨地入泊の際に触雷、小浜灯台傍まで曳航されるも浸水により右に32°傾斜した状態で艦尾が着底し、艦橋の一部を水面から出した状態で擱座となってしまった。


尚、竣工から戦没(大破着底)までの期間は88日と、実戦(榎の場合は対空射撃だけであるが)を経験した日本海軍艦艇の中では最も短命な部類に属する(実戦未経験のまま戦没した艦を含めると、空母信濃の方が短命である)。


関連作品編集

  • 『ぼくらの駆逐艦・榎―戦後70年の証言―』(メイン画像参照):永月ににによる漫画作品。同艦戦没時に乗組員が収容された旧制小浜中学校の卒業生(榎会)による証言をもとに描かれている。作者によりpixivで一部が公開されている。

関連項目編集

大日本帝国海軍 日本海軍 駆逐艦 橘型

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