概要
1931年、日本海軍は第一次海軍軍備補充計画(通称マル1計画)を設定。戦闘力を向上させた駆逐艦の新造に着手する。
しかし、前年のロンドン海軍軍縮会議で駆逐艦に「1500トンを超える艦は、合計排水量の16パーセントまで」と言う制限が設けられていたため、特型駆逐艦の増産は不可能だった。
そのため、特型(1,680トン)より約200トン小さい1,400トンの船体に、特型に準ずる性能を持った艦の建造を開始、1931~35年にかけて6隻を竣工させた。
1番艦初春から初春型と呼ばれる。
特型と比べ全長で10m、全幅で40cm小さく、喫水は20センチ浅くなった。
船体下部の機関重量が軽量化されたのに対し上部の武装重量は殆ど変わらず、艦橋・煙突なども高くなって重心が上がり、初春の各種試験の際、最大38度傾斜し復帰不能寸前になった。
友鶴事件もあって、武装の変更(3基装備していた魚雷発射管を、1基撤去し3連装2基としたほか、艦橋直前の2番砲を艦の後方に移し、3番砲と同位置の背中合わせの配置に改める)、構造物の変更(一番煙突を1m、二番煙突・機銃座・前後檣楼を1.5m、探照灯台を2m、一番魚雷発射管を30センチ下げたほか、錨鎖庫を1甲板分下げ、艦橋部分も縮小する)による復元性能改善工事が行われた。
有明型駆逐艦
初春型として計画された艦のうち、5番艦「有明」以降の艦については以下のような仕様変更が行われる事となった。
- 主砲のうち連装砲を高角兼用のB型改二から平射専用のC型に変更
- 魚雷発射管を3連装3基から当時開発中の四連装発射管導入により4連装2基に変更
- 旋回時の傾斜軽減を目的に舵を1枚から2枚に変更
また、6番艦「夕暮」以降に関しては、バルジを増設する代わりに船体を拡張する事によって安定性を確保する事となった。
以上の仕様変更に伴い、「有明」以降の艦は1933年に初春型駆逐艦から除外され、新設された有明型駆逐艦に分類される事となった。
しかし、完成した四連装魚雷発射管が計画段階よりも重量過多となっていた事、及び友鶴事件の発生もあって更なる復原性能改善の結果、既に建造の進んでいた1番艦「有明」及び2番艦「夕暮」は主砲の型を除いて初春型と同様の武装に変更(「夕暮」はバルジ撤去の代わりに船幅削減)、まだ起工から間もない3番艦「白露」以降は更なる復原性・速力向上と魚雷射線数維持を目的に船体構造の再設計が行われる事となった。
この変更により有明型駆逐艦は「夕暮」以前と「白露」以降で全く仕様の異なる艦となってしまう事となったため、1934年11月をもって有明型駆逐艦から「有明」「夕暮」を元の初春型駆逐艦に再編入、残った「白露」以降は改めて白露型駆逐艦に分類される事となった。
尚、初春型再編入以降も主砲の種類が異なる「有明」「夕暮」の2隻は非公式に「有明型」と呼称される事がある。
同型艦
No | 艦名 | 工廠 | 起工 | 進水 | 竣工 | 戦没 |
1番艦 | 初春 | 佐世保 | 1931/05/14 | 1933/02/27 | 1933/09/30 | 1944/11/13(擱座) |
2番艦 | 子日 | 浦賀 | 1931/12/15 | 1932/12/22 | 1933/09/30 | 1942/07/05 |
3番艦 | 若葉 | 佐世保 | 1931/12/12 | 1934/03/18 | 1934/10/31 | 1944/10/24 |
4番艦 | 初霜 | 浦賀 | 1933/01/31 | 1933/11/04 | 1934/09/27 | 1945/07/30(擱座) |
5番艦 | 有明 | 川崎 | 1933/01/14 | 1934/09/23 | 1935/03/25 | 1943/07/28 |
6番艦 | 夕暮 | 舞鶴 | 1933/04/09 | 1934/05/06 | 1935/03/30 | 1943/07/20 |
以上のうち第二次世界大戦終結時に艦体が残存していたのは、初春と初霜のみである。なお初春の解体時期は不明だが、初霜は1951年までに解体が行われている。
関連タグ
特型駆逐艦・・・初春型の前級で吹雪型駆逐艦の計画名。18番艦の曙は、初春と同じくマニラ湾で終戦を迎えた。
改初春型・・・有明と夕暮。