友鶴事件とは、1934年に起きた、旧日本海軍の水雷艇「友鶴(ともづる)」が嵐で転覆した事件のことである。トップヘビーの代名詞とされる。
当時、ワシントン・ロンドンの両海軍軍縮条約で軍艦の数量が絞られたため、どの艦種でも限られた排水量の中にできるかぎりの武装を積み込む設計がなされた。砲にしろ魚雷発射管にしろ武装は水面上に積まれるため、重武装すれば当然上の方が重くなり不安定になる(トップヘビー)。無論、それでも安全に航海できるよう計算はなされていたのだが、ついに限界を超えてしまったのが友鶴事件である。
設計者である藤本喜久雄造船少将は責任をとって謹慎処分を受け、翌年に脳溢血で急逝した。藤本氏は保守的で頑固だった平賀譲氏とは対照的に、新技術の導入に熱心で、軍令部の要望に全力で応えようとする人物だった。長門型の屈曲煙突などもその成果だったが、この友鶴事件ではそうした藤本氏の姿勢が最悪の結果を招く形となってしまった。
なお、現在では新たな調査や研究の結果、友鶴の転覆事故自体は艦そのものの欠陥だけではなく、操船ミスや気象条件など複合要因説も提唱されている。特に小型の船舶の場合、波や風の条件によっては、本来は問題ない筈の速度や舵角でも転覆してしまう危険があり、友鶴の場合ももちろん欠陥はあったにせよ、当時から船乗りの慣習として危険とされていた追い波や追い風での急旋回をしてしまった操船ミスの可能性も指摘されている。
この事件の結果、水雷艇は無論、重武装を誇った吹雪型・初春型の駆逐艦ほかが武装を軽減され、当時計画中の空母蒼龍が巡洋艦並みの主砲に大量の艦載機という火葬艦状態だったのがまともに改設計されるなどした。
だが、同じ背景から発生した船体の強度不足という問題が、翌年の第四艦隊事件で発覚することになるのである。
詳細はWikipedia参照
こうした失敗は帆船の時代から起こっており、例えば1628年にはスウェーデンの戦列艦ヴァーサが初航海で沈没している。
pixivでは、軍艦関連(艦隊これくしょんなど)で武装などがてんこ盛りされてバランスが悪そうなイラストにタグ付けされている。