- ホウキギの種子
ホウキギ(ほうき草、コキア)の種子のこと。脱穀したものを茹でて食べる。秋田県の名産品。名前の由来は、「ぶりこ(ハタハタの卵)に似た、唐伝来のもの」を意味する「とうぶりこ(唐ぶりこ、唐鰤子)」が省略され、転訛したものと言われる。その見た目から「畑のキャビア」「和製キャビア」とも呼ばれる。漢方では地膚子と言われ、利尿などの効能がある。サポニンが豊富。
- タイ王国、バンコクの一区画
タイ王国バンコク都の行政区画の一つ。意味は「金都」。
現在のバンコクが建設される以前から存在し、かつてはトンブリ王朝が都としていた。
かつては川を挟んで現在のタイ王国の王宮がある旧バンコク地区と向かい合っていたが、都市の発展と共にしだいに吸収されていった。
高級住宅街があり、古くからお金持ちの多い地区とされてきた。そのため、旧バンコク地区から「向こう岸」と呼ばれたり、軽くあしらって「トン」と省略されたりしていた。
- タイのトンブリ王朝、及びその開祖であるタークシン王の異名
1766年にビルマのコンバウン王朝によってタイ・アユタヤ朝は滅ぼされた。
この際に兵を率いてビルマ軍を撃退したタイの将軍タークシンによって新たにトンブリ朝が開かれ、都を現在のバンコクのトンブリに定めた。タークシン王は周辺の勢力を併合して一代でかつてのアユタヤ朝の領域を回復したが、次第に誇大妄想的になり、自分に跪くことを拒否した僧侶をむち打ちにするなど奇行が目立つようになりった。そこで将軍のチャオプラヤー・マハーカサット・スックがタークシン王を捕らえ、1782年4月6日、ベルベットの袋に入れ、白檀の棒で首を折るという王侯のみが受ける処刑を行った。チャオプラヤー・マハーカサット・スックはラーマ1世として現在のタイ王国とその王室の開祖となり、トンブリの対岸に都としてバンコクを築いた。こうしてトンブリ王朝はタークシン一代で終わったが、タークシンは救国の英雄としてかつての王都トンブリに銅像が建てられている。
- タイ王国海軍のトンブリ級海防戦艦の一番艦トンブリ
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日本・神戸の川崎造船所で建造された。1938年に竣工。
1941年のフランスとの戦争に出動、コーチャン島沖海戦にてフランス東洋艦隊に敗れ損傷・擱座。
その後日本の協力で引き揚げられるが損傷が激しく、練習艦として使用された後、解体。
砲塔と艦橋がタイ王国海軍兵学校に現存する。