概要
1966年に空調設備会社として設立。
社名は創設者のヴァレリオ・ビアンキ(Valerio Bianchi)、ジュゼッペ・モーリ(Giuseppe Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Massimo Tamburini)の3人の綴りから2文字ずつとって生み出された。
創設者の一人マッシモ・タンブリーニが大変なバイク好きであり、大破させてしまった自身のHONDACB750FOURをフレームから作り直した機体が評判を呼んだことをきっかけにビモータはバイク事業に乗り出すことになった。
ビモータは小規模オートバイメーカーではよくある、他社が開発したエンジンを自社で作り上げたフレームに搭載するというスタイルだが、そのベースエンジンに様々な日本車ブランドのものが使われているのが特徴である。これはタンブリーニが開発したバイクがそもそもCB750の改造車から始まったことが大きい。なおかつ1970年代は大排気量大型バイクの成長過渡期であり、エンジンの出力と車体フレームのバランスがとれていないがためにエンジンの潜在能力を発揮できていないバイクが多々あり、ビモータのような完成度の高いフレームを作る会社に需要が生まれたのである。
空調設備の技術者であったタンブリーニは職業柄フレームの設計に長けていたため、このような完成度の高いフレーム設計に裏付けされた車体開発を行えたのである。また、ビモータのバイクは車体を覆うカウルにも拘っており、個性的なデザインとバランスを兼ね備えたものとなっている。
この完成度の高い内容からビモータのバイクはバイクファン垂涎の的となり、マニアックな人気を獲得するに至った。
ある意味ではオーダーメイドの特注品とすら言える内容のバイクを製作しているためか、ビモータのバイクは軒並み高価格である。最初期の頃は輸入した日本車からエンジンだけ抜き取り、自社開発の車体に移して製作するという手間の掛かる生産方法だったため、高価なだけでなく販売台数自体も少なかった。この販売台数の少なさはビモータが成長した後も変わらず、もっとも売れたSB6シリーズでさえ販売台数は2000台に届かなかった。タンブリーニはこの点を憂慮し、日本メーカーとの契約でエンジンを安定購入しようとしたのだが、会社の独立性を重んじる経営陣と衝突しビモータを去ることになった。
1997年に自社開発エンジンを搭載した500Vデュエを販売したが、エンジンそのものに問題があるバイクであったため商業的に大失敗してしまい、経営そのものが傾きビモータは2000年に倒産した。
2003年に資産家ロベルト・コミーニによって工場ごと会社が買い取られる形で復活。初期のような高品質なバイクを手間暇かけて生産するという方針に立ち返り、現在も精力的にバイクを開発している。
倒産前はHONDA・KAWASAKI・SUZUKI・YAMAHAなど、日本メーカーのエンジンを主に使用していたが、再建した現在はドゥカティのエンジンを主に使用している。
会社再建後も経営状態は苦しく、新規開発も滞りバイクの販売も伸び悩んでいたが、2019年にKAWASAKIとの提携が結ばれ、KAWASAKIからエンジンを買い付ける形でバイクの生産が可能になった。
創業者タンブリーニの提案が数十年越しで実を結んだ形となったのである。