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概要編集

戦後初めて開発された国産輸送機

米軍から供与されていた輸送機C-46が老朽化したことや、YS-11が(物資用の輸送機としては)性能不足気味だったことを受け新型の輸送機を欲していた自衛隊は、輸入機の候補と当時の基地能力を検討した結果、国内開発を決断する。

日本航空機製造(NAMC)、及び防衛庁技術研究本部が中心となって設計された。


貨物搭載量は約8t、航続距離は空荷で2400km、満載で1500km程度。他国と比較するとボチボチの性能である。設計当時の国内運用に関しても十分とは言い難い性能だったが、当時の空自の運用能力を鑑みればこのあたりが限界だった。


この上開発中に沖縄、硫黄島などの離島が返還されるとまるで足りなくなってしまう。

一応航続距離延伸の余地は考えて設計されていたものの、それを踏まえても不足は否めず、結局C-130の輸入と、C-2の開発につながることになった。


なお「左派勢力への"配慮"のために航続距離が削られた」という話があるが、例によって根拠不明の風聞に留まっている。

開発検討にあたっては優秀な航続性能を誇るC-130の導入が対抗に挙がっただけでなく、そもそもそれまで運用していたC-46ですらC-1を遥かに凌駕する航続距離があったことを考えると、そのような配慮を行う合理性もない。


問題は他にもあった。国策会社であるNAMCは、法律で軍用機の製造が禁止されていた。さらにNAMCの経営陣は、企業経営はド素人と言っていい通商産業省(当時)官僚出身者多数を占め、詳細は省くが経営は見事などんぶり勘定、YS-11の頃から営業は全くダメ、サポート態勢もなってないで、赤字体質が身についてしまった。

こんな状況では後継機製造どころではない。結果、C-1(当時は「C-X」と呼ばれていた)の量産は、NAMCの大株主である三菱重工業川崎重工業富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機の機体メーカー6社の内、T-2の開発にとりかかっていた三菱を除く5社が分担し、最終組立を川崎で行う事が決まった。


メカニズム編集

機体は軍用の輸送機としては標準的な構造で、後方に積み降ろし用の大きく開くドアがあり、主翼の桁で荷室を圧迫しないように高翼式(機体の上に主翼が付いている、またT字尾翼となっており、短い主脚が胴体から直接生えている。

高翼式は安定性が増すという副次効果もあるが、運動性が求められる戦術輸送機としてはデメリットになるため下反角をつけて安定性を打ち消している。

エンジンはボーイング727などにも採用された名器、プラット・アンド・ホイットニーJT-8Dを2発搭載する。

型は古いが信頼性は抜群である。但し、低バイパス比ターボファンエンジン故騒音が大きく、実際にC-1を運用する基地の周辺では騒音に関する苦情が寄せられたこともある(低バイパス比エンジンは性質的にはターボジェットエンジンに近い)。

また、軍用機という性格上致し方ないとは言え、機内は「与圧だけはされているから息はできる」程度であり、振動や騒音に対する配慮はほとんど・・・というか一切されていない。このため、災害救助などで民間人が(貨物室に)乗った際の評判はお世辞にもいいとはいえない(但しこれはC-1に限ったことではなく、大抵の軍用輸送機に言えることとも言える)。

フラップは強大な揚力を発生させられる四重隙間式を採用。このフラップと、(機体の規模からすれば)強力なエンジンにより600mで離陸することが可能。


運動性能編集

寸胴な見た目から鈍重な印象を受けるが、空荷での運動性能は非常に高く、宙返りやバレルロールもこなせる小回りがある。

戦術輸送機は危険な空域を飛行することを想定し、満載の状態で低空を縫うように飛行することが要求されるため、荷物を下ろせば曲芸飛行すら可能となるのである。


なおこれは既に書いたように戦術輸送機としては常識的な設計である。諸外国の機体に於いても戦術輸送機にカテゴライズされる機体は基本的に同じことが可能であるので注意が必要である。

その辺の常識を知らない人たちにより「アメリカの特殊部隊が欲しがった」なんて風聞も広まっている。


但しジェット機であるがゆえに速度性能は他機と比較しても一歩抜きん出ている。


後継機編集

そんなC-1であったが、上述したように沖縄返還後の航続距離不足は無視し難く、また戦闘機の更新に伴って基地設備が十分に拡充されたことにより、航空自衛隊は結局C-130を導入することとなった。

その後は機体延長による大型機化や、早期警戒機化、機雷敷設機化などが計画されたが、いずれも頓挫している。特に早期警戒機化を巡る、佐藤栄作内閣下での中曽根康弘防衛庁長官と海原治同庁官房長(のち国防会議事務局長)との激しい対立は語り草となっている。海原は国民に一定期間の軍事訓練を積ませて民兵化したスイス型の防衛体制を持論としており、C-1の開発自体にも反対していた。

余談だが、後に海原は航空自衛隊のF-4導入の際も「こんな高級で高性能な戦闘機は専守防衛に反するから必要ない。アメリカが途上国向けに開発したF-5で十分(要約)」と主張して導入反対の論陣を張り、しまいにはF-4導入を盛り込んだ第3次防衛力整備計画の初年度予算案に判を押さないと言い出してまで導入決定を覆そうとしたが、流石にこの暴挙が通るわけがなく海原は官房長の職から更迭された。


正式運用開始後は基地間の輸送や第1空挺団の訓練・支援などに用いられてきたが、機体の老朽化のため、C-X(後のC-2)に置き換えられることとなった。


関連タグ編集

自衛隊 航空自衛隊

飛行機 軍用機 輸送機 C-2

川崎重工カワサキ) 防衛庁技術研究本部

JT-8D

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