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F-5

えふご

アメリカ、ノースロップの開発した戦術戦闘機。小型・軽量で安価、整備性にも優れている。操縦性も「素直で飛ばしやすい」と評価されており、冷戦期のベストセラーである。装備面ではレーダーを装備しない等、当時のアメリカ空軍にはそぐわない内容だった。しかし、逆にこのシンプルさがウケて途上国にはよく受け入れられた。のちにレーダー装備型が作られ、そちらも大いに受け入れられた。
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逆転の発想

アメリカ政府には悩みがあった。ソビエトの同盟国に接する国に、戦闘機を供与したい。
しかしそんな国が必ずしも、複雑なアメリカ製戦闘機を運用できるとは限らなかった。

もちろん、供与に合わせて人員を教育する等の支援はしていた。
しかし教育の時間は短いに越した事はなく、何よりも『複雑な電子機器を維持・整備できるのか』という問題がついて回った。当時のアメリカは、「軍事援助計画(MAP)」によって戦闘機の供与を進めていた。しかし、戦闘機の値段や維持費用は年々上がる一方で、一番の新型は更に高価といった具合だった。

ノースロップ社はここに注目した。
『最初から複雑な電子機器を装備しない、至ってシンプルな戦闘機』というアイデアが生まれたのだ。思い切って機体を小型・軽量化し、開発・運用・整備コストを大幅に引き下げようと言うのである。この機体はN-102「ファング」と命名されていたが、当時は見合ったエンジンが無く、計画は失敗した。

N-156あらわる

こうして仕切りなおしとなった『軽量戦闘機計画』だったが、ここに計画実現の希望があらわれた。

これがゼネラルエレクトリック社のJ-85ターボジェットエンジンで、これは無人機やミサイルなどのための、「使い捨て」の安価なエンジンとなっている。このエンジンの耐久性を増し、有人機用にしたモデルが登場したのだ。小型エンジンは出力が小さいが、小さいと回転する部品(コンプレッサーやタービン)が相対的に頑丈になり、エンジン重量の割に高出力を狙えるようになるのである。

そうして現れたノースロップ社による独自開発機が、開発コード『N-156』、のちのF-5となる機である。当時、超音速戦闘機開発の波に乗り遅れたノースロップ社は、せめてMAP(海外軍事援助計画)用の機は受注しようと開発していたのだ。

開発にあたっての要点は5つ。

  1. 複雑化を避け、安全で高性能な戦闘機を作る。
  2. 安全性・長寿命のため、エンジンは双発(2基)。
  3. 対空・対地・偵察など、色々な事に使える多用途機。(マルチロール機)
  4. 短い滑走路でも使え、操縦性も低速から高速まで良好。
  5. 第三世界諸国でも購入・維持できる程に安い。

もちろん、開発は空軍にも知れ渡る事になった。しかしレーダーを装備しない戦闘機など、元よりお呼びではないのだ。N-156はMAP用戦闘機として、まずは試作機3機が発注された。空軍の訓練部隊だけは良好そうな操縦性に注目し、練習機として注目しはじめたが。このN-156(練習機)は、のちにT-38『タロン』としてよく知られる機体である。訓練用としてNASAでも運用されている。

MAP戦闘機F-5

さて、MAP戦闘機として採用されたF-5だが、実戦仕様の戦闘機にするに当たって変更がいくつか加えられた。

  1. 武装の搭載で重量が増すので、車輪を強化した。
  2. 武装を搭載するためにハードポイントを追加。計7か所に武装を装備できる。
  3. エンジンを強化し、それに伴ってエアインテイクを再設計した。
  4. 短い滑走路で離着陸するため、主翼前縁にもフラップを追加した。

ケガの功名?

追加した前縁フラップのために動力が必要になったが、その動力源の収容場所が無いため、主翼付け根の前縁に新しく張出しを作って収容した。だが、これが意外にも空気の流れを緩やかにまとめ、低速での揚力も大きくなる効果が生み出された。このような張り出し(ストレーキ)は『LEX』と呼ばれ、ブレンデットウィングボディにも加えて以降の戦闘機には欠かせないものとなった。

陸軍航空隊ふたたび

ただし、運用の手軽さに注目され、制式採用されかかった事はある。それはなんと『アメリカ陸軍』。

当時のアメリカ空軍は「もっと速く、もっと高く、もっと遠く」のモットー通り、敵も速く・高く・遠くに求めてしまっていた。敵には遠くの強大な空軍、ソ連空軍に注目してしまい、陸軍の支援などという地味な仕事は軽視するようになってしまったのだ。

そこでアメリカ陸軍は地上部隊の支援のため、自前の航空部隊を求めるようになった。
こういった背景だったので、当時のアメリカ戦闘機ラインアップの中でもとくに整備が簡単で、扱いやすいF-5やOV-1が候補になるのは至極あたりまえの事だった。

こうして更に拡大路線を志向したアメリカ陸軍だったが、いくら当時は「世界の富の半分を独占している合衆国」とはいえ、こうした無為な予算拡大を政府が許す訳もなく、戦闘機を配備する計画はむげに断られてしまうのだった。

『対地支援?そんなモン、はなから空軍の仕事だろうが!』
そういうわけで空軍は再び対地支援への対応を求められ、ベトナム戦争では不向きな機で苦戦していくことになるのである。

ただし、

当時(朝鮮戦争~)、しだいに実用化が進みつつあったヘリコプターも陸軍に注目されており、砲兵観測用として研究を進めていた。時代が下るにつれ、エンジン技術の発達により実用性は飛躍的に高まり、とうとうHU-1が採用されて時代を占める事になる。

のちに援護のために武装したヘリコプターが求められるようになり、派生型としてAH-1が登場。(その証拠に最初の型がG型である)こうして戦闘ヘリの時代が幕を開けるのである。

スコシ・タイガー作戦

こうしてMAP戦闘機として、各国に供与される事になったF-5だったが、供与された国からはこんな質問が寄せられた。『なぜ当のアメリカがF-5を使わないのか?』

また他にも、ベトナム戦争F-100F-105の苦戦を目の当たりにして、『大型で複雑な戦闘機よりも、簡単で軽快な戦闘機を配備すべきでは無いか?』という意見も空軍内部から出はじめた。

こうして、F-5をベトナムへ派遣して実戦テストを行う『スコシ・タイガー作戦』が立案された。小型戦闘機の意義を確認し、あわよくば次期主力戦闘機開発のヒントをつかもうというのである。『スコシ』とは、もちろん日本語の「少し」に由来する誤訳で、文字通り「小さな虎」という意味もあったが、『「少し」の機体を「少し」の間だけ派遣する』という意味もあった、といわれている。

F-5Aも東南アジア向け改造を施す事になった。
改造内容は
・空中給油プロープ(着脱式)の追加
・コクピットなどに防弾版の追加(約90kg)
・航法装置の強化
などである。

海を渡り、遠路ベトナムに到着したF-5だったが、到着当日の夕方にはさっそく、最初の任務に駆り出されている。これはF-5に関して『整備が簡単で、かつ短時間で行える』という事を証明している。このほかにも稼働率が高い事や、何よりも双発なのでエンジン停止が少なく、損害も少ない事を実証し、作戦は成功を収めた。

その後の「タイガー」

スコシ・タイガー作戦は1966年3月9日に終了した。「評価試験」という当初の計画は変更され、南ベトナム空軍がF-5を採用するので、その教育飛行隊も兼ねる事になった。こちらも大きな活躍を見せたが、1975年4月には南ベトナムが崩壊し、せっかく配備した115機の同国所属F-5は、27機を残してすべて失われた。

その後、国防総省で作戦の成果についての分析が行われた。そのなかで最も評価された事は、何よりも整備性である。双発で両エンジンの止まる事が少なかったのだ。ほかにも機体が小さいので被弾率が低い事も忘れてはならない。

ただし小型なので搭載量が小さく、航続距離も短い事は「泣き所」である。
そのせいか空軍がF-5を採用することは無く、一番の得意分野だった『CAS(近接航空支援』でも、海軍のA-7が最適とされてしまった。

とにかく、この成功でアメリカ空軍は小型戦闘機の意義を再確認し、のちのF-16F/A-18の成功にも繋がっていくのである。

F-5C?

「スコシタイガー」で使われたF-5はA型だが、場合によってはC型と呼ばれる場合もある。元々、C型の名称はアメリカ空軍がF-5を採用した時のために用意してあったのだが、この計画はあくまでMAPの計画内で行われたものであり、また『使用』ではあっても『採用』ではないので本当はA型が正しいと言われている。
(機体もMAP用から抽出され、改造されたもの)

戦闘偵察機RF-5A

F-5Aの機首は『がらんどう』、つまり何も搭載していない。
これはレーダーを搭載していないからだが、これは偵察機型を生み出す際に役に立った。
RF-5Aでは、この空っぽの機首に偵察カメラを装備して偵察機としている。

武装は戦闘機のまま残されており、偵察機の機首を交換するだけで簡単に復帰できる。なお、交換に要する時間は5分である。

成らなかったF-5J

N-156は、航空自衛隊にもF-86の後継として提案された事がある。
不採用の理由はレーダーを装備せず、航続距離も短いからだろう。
結局この回のF-XではF-104が採用され、その後もよく知られる通りである。

レーダー装備型F-5の登場

1960年代も終わりに差し掛かり、アメリカはMAPに替わるAIF(のちにIFA)計画を開始する。
これは戦闘機がさらに高性能化し、ソビエトでもMiG-21レーダー装備型(PF・PFM以降)の海外供与を始めた事も一因だった。

こちらも国内数社を対象にコンペが行われ、ノースロップはここでも採用を勝ち取った。
勝利したのは開発名称『F-5A-21』、のちのF-5Eである。エンジンのパワーアップに加え、新しく対空レーダーを装備した改良・発展型である。

カナダでのライセンス生産機(NF-5)の設計も取り入れ、離着陸性能は改善された。また部品も40%がA型と共通であり、生産治具や運用機材に至っては75%がそのまま使える。これは単に生産コストの低減だけでなく、採用した国の経済的負担も小さくできる事を意味している。
(実際、多くのF-5A採用国がそのままF-5Eを採用している)

RF-5E:総生産数12機

レーダーを装備し、こちらもベストセラーとなったF-5Eだったが、偵察機型であるRF-5Eだけは生産数が少ない。偵察型機首に交換するためには、複雑なレーダーの配線を外す必要があるからである。

結局、高価でも装備が充実したRF-4の方が便利とされ、採用国もわずかだった。これにはF-5Eの1.5倍という価格も一因だっただろう。
(それでもRF-4の6割と安価だったが)
生産内訳はマレーシアが2機、サウジアラビアが10機。他にもシンガポールが8機をこれに準じる偵察型に改造している。

F-5、最終発展型へ

F-5Gはもともと台湾F-16の導入を検討した際に提案された派生型である。G型となるに
あたってエンジンをF404エンジンに換装し、レーダーをより実用的なAN/APG-67に変更している。
まったく新型ともいえるような変更が加えられた訳だが、この機は中国との関係も考え、当初はF-5Gと呼ばれていた。

当時、F-16は純粋な昼間戦闘機であり、運用できるミサイルもAIM-9位のものであった。そのうえ同じく台湾に提案されていたF-16/79は、エンジンを旧式で燃費の悪いJ79に換装した「格下げ品」だった。
(GD社は「信頼と実績のエンジン」と称していた。ものは言いようである)

対するF-5Gは最新のエンジンとFCSを備え、同じく最新のグラス・コクピットで身を固めていた。
その上機体設計も一新され、これまた最新の考え方が導入された。極め付けはフライバイワイアやCCVを導入していない(元の設計が古い)にも関わらず、F-16に負けない運動性を発揮したという事である。操縦性も優秀であり、チャック・イエーガーなどは絶賛していたという。

このように、F-16よりも優秀である事を主張してやまなかったF-5Gであったが、台湾への輸出は「最新兵器の輸出禁止」でお流れとなり(実際は自粛に近かったとか)、それからは「F-20」として新たな輸出先を探したが、今度は80年に輸出解禁となったF-16に売り負けて買い手が付かなかった。

既にF-16はF-20同等のアップグレードを予定しており、どうせならばと、顧客は発展の余地のあるF-16を選んだのだった。いくら最新型相当ではあっても、しょせんは旧式機の最終発展型なのだ。ノースロップはのちにアメリカ州空軍向けの防空戦闘機コンペに応募したが、こちらもF-16の防空戦闘機型に敗れている。これはF-16が既に多数の受注を獲得しており、量産効果で安価になったのも一因である。

製作機数は3機。うち2機はそれぞれ別の航空ショーで墜落している。事故原因は「強烈なGでパイロットが意識を失った事」とされている。当時、高いGの影響についての研究が進んでおらず、耐Gスーツも無かったのだ。唯一残された3号機は現在、カリフォルニア・サイエンスセンターで展示されている。

しかし・・・

だが全く売れなかった訳でもない。1982年にバーレーンがF-20を購入する計画はあった。だが肝心の購入数が4機では生産ラインを動かす訳にもいかず、結局はF-5Eを8機購入する内容にまとまっている。

現在のF-5

既に生産は終了しているが、安くて扱いやすい事が幸いして今なお現役を勤めている。
イスラエルのIAI社では電子機器を総入れ替えして近代化した『タイガーⅢ』改修をチリ空軍のF-5Eに対して行っているし、本家ノースロップも独自に電子機器更新・コクピット改修を施した『タイガーⅣ』を完成させている。
(こちらは結局、どこからも受注できなかったようだが)

他にもシンガポールブラジルタイといった国ではそれぞれ独自に近代化を行い、旧式機をみごと現役にまで返り咲かせている。最近ではイランが「アザラフシュ」「サーエゲ」といった『(自称)独自開発戦闘機』の原型に使われたと見られており、いまだ話題は尽きない戦闘機である。

なお、国外輸出では大きな成功を収めたF-5だったが、結局自国では限定的な採用に留まり、主力の一角を占めることは無かった。ノースロップではこれを反省し、より新しい設計を取り入れて近代化したP-530「コブラ」を軽量戦闘機計画(1971)に出品する。結果、これは不採用となってしまったが、今度は海軍から注目されて、現在F/A-18として知られる戦闘機のはじまりとなる。

F-5は後の戦闘機開発に大きな影響を与え、現在世界で駆け回るF-16F/A-18が開発されるきっかけを作った、開発系譜でも重要な位置を占める戦闘機なのである。

ちなみに「お隣の国」では
韓国は1974年に元南ベトナムのF-5Eすべて(19機)を引き取ったのち、新造のF-5E(126機)とF-5F(20機)をアメリカから供与された。これは南ベトナムに引き渡したF-5A・RF-5Aの代わりで、この他にF-4も供与されていいる。1981年からはライセンス生産も始まり、1986年までにF-5E(48機)とF-5F(20機)が完成した。

未だに現役ではあるが、最近ではさすがに「痛み」を隠しきれないようで、事故は増加傾向になっているようだ。待たれるのは新型戦闘機への更新ではあるが、経済的に怪しい状況ではどうなるか・・・

銀幕のF-5

実は映画「トップガン」でも出演を遂げている。と言ってもF-5としてではなく、敵役『MiG-28』としてである。もちろん架空機であり、実際には存在しない。ソビエトの航空機メーカーは型番のつけ方に特徴があり、それは『戦闘機には必ず奇数番が与えられる』という事である。

ミコヤン設計局では戦闘機のみを設計・製造しており、当然ながら『MiG-28』は実在しない。また、あったとしても戦闘機以外である。

ソビエト式命名法

上記の通り戦闘機が奇数で、それ以外が偶数である。
しかしこれは曖昧なようで、特にスホーイではごっちゃになっている。
例えばSu-30などは偶数なのに戦闘機だし、Su-17攻撃機なのに奇数である。
(もともと戦場戦闘機扱いだったのもあるが)
設計局ごとに基準が違うのだろうか?

F-5(偵察機)について

「双胴の悪魔」ことP-38偵察機型である。双発機の利点を生かし、高速で敵中突破を敢行する。
かの有名な作家、サン・テグジュペリの乗機でもあった。

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