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F-104

えふいちまるよん

アメリカ、ロッキード社のケリー・ジョンソンが設計した戦闘機。朝鮮戦争での戦訓を調査した上で設計しており、徹底した軽量化を心掛けている。推力対重量比や上昇力に優れ、その姿は『究極の有人戦闘機』の名にふさわしい。
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「F-104ほど堂々と男根の象徴性を押しだした航空機をほかに見たことがあるかい?」
マイケル・スキナー作「ファースト・エア2」(東京創元社)P195より

『もっと上昇力を!』

F-104はアメリカの傑作戦闘機のひとつ。
1951年、ロッキード社のクラレンス(ケリー)・ジョンソンは調査のため、韓国を訪れた。
『戦闘機に何を求めているか?』という点について、実戦のパイロットに意見を求めるためだった。

ケリーの質問について、
パイロット達は異口同音に追跡するためにも上昇力が欲しい』と要望してきた。
中には『そのためには射出座席を無くしたって構わない!』と主張する者まで現れた。
(当時の射出座席はまだ未完成で、単純に信頼できなかった事も大きい)

当時、朝鮮戦争ではF-86でさえMiG-15が上昇して逃げると追跡できず、
そのためにパイロット達は上昇力に優れた戦闘機を求めたのだった。

割れ鍋にとじ蓋

MiG-15は上昇力に優れるが、音速に近づくと操縦不能になる不具合があった。
F-86は急降下で音速を超えても平気だが、エンジンのパワーにあまり余裕が無いので上昇力では負けている。つまりF-86は急降下で逃げられて、MiG-15も急上昇で逃げられたのだ。
両者この戦訓を元に、ソビエトでは急降下でも音速突破できるMiG-17を、
アメリカではこのF-104を開発した。

「最後」?「究極」?

現在F-104は『究極の有人戦闘機』として知られているが、かつては(90年代までだろうか)『最後の有人戦闘機』と言う方がよく通っていた。これは「The Ultimate manned Fighter」という原語を尊重した結果と思われるが、どちらにしても「これ以上に洗練された戦闘機を作るとしたら、そこには人間が乗る余地など無いだろう。だからF-104は有人機の究極なのだ」という意味においては、どちらも同じだと言える。

空軍を動かした要望

調査結果を携えて会社に戻ると、ケリーはさっそく製図板に向き合った。
1952年3月には構想図がいくつか出来上がり、以降は版を重ねるごとに洗練されていった。
空軍も『次の戦闘機は軽量な機体に強力なエンジンを備えたものとする』と歩調を合わせた。
(何よりもパイロット達がそれを望んでいた事も大きいだろう)

1952年5月、空軍は国内の各メーカーに上記のような要求仕様を提示。
1952年11月、ロッキード社からケリーの『スカンクワークス』が開発案を提出。
1953年3月、数ある提案の中からケリーの開発案を採用。契約と共に2機の原型機製作を発注した。

当初は新型のJ-79エンジンに合わせて設計されていたが、
原型機には間に合いそうになかったのでJ-65エンジンに合わせて再設計された。
1954年3月、最初の原型機XF-104が初飛行。
その月の末にはJ-79エンジン装備のYF-104が17機発注された。
1955年4月、YF-104はテスト飛行でマッハ2を記録した。

合わせた歩調のそのあとで

ただし、この変更は競合する他のメーカーからは大顰蹙をかった。
「戦闘機に合わせて要求仕様を作るなんてズルイ!」
と言われてしまったのである。
もちろん結果はロッキードの一人勝ち。

しかし、これは「ロッキードはずるい」というよりも、「売り込みが上手い」と言われるべきかもしれない。
前線のパイロットに要望を聞きに行き、それに合わせて設計したのだから、採用は当然だっただろう。

『宇宙戦闘機』(スター・ファイター)について

前述のように、上昇力に的を絞って設計されている。
最小限の空気抵抗にするため、鉛筆のように細い胴体レーダーからエンジンまでを詰め込んでいる。
主翼もX-3実験機のような小型の台形翼を採用。
この主翼はとても薄いので、地上では整備員がケガをしないように保護カバーがかけられる
薄さをアピールする為に翼で野菜を切ったこともある。(しかもLIFE誌に載せた)

最大速度はマッハ2.2を発揮するが、これでも機体が熱に耐えられないので速度制限されている。
エンジンのパワーそのものには余裕があり、本当はもっと出せるのだ。
イタリア空軍のF-104Sでは機体やエンジンの耐熱限界を高め、マッハ2.4まで出せるようになった。

操縦性はピーキー神経質の一言である。
低速での安定が悪く、高速になれば今度は曲がらなくなるため低空飛行・離着陸中にしばしば事故を引き起こし、未亡人製造機』とまで呼ばれた。戦闘爆撃機として用いた西ドイツ空軍(同空軍は916機のF-104を導入した世界最大のF-104ユーザーであったが、そのうち292機、割合にして1/3強を事故で喪失している)では、この他にも『空とぶ棺桶』だの『地面に刺さるクギ』などとアダ名された。
西ドイツ空軍への導入に当たっては、エーリヒ・ハルトマン大佐が事故を懸念して反対したが、空軍上層部の不興を買い、退役した。

ただし前からは機体が小さく見えるため、パイロット次第では空戦で有利に働ける利点がもある。
故・ロック岩崎氏は模擬戦でF-15を「撃墜」した(ただし初期型のため、F-15側には実質ハンデが付いていた)実績を持つ。
他にもNASAの高速チェイス機F-104Nや、熱圏成層圏のさらに上)での操縦訓練のためにロケットブースターを増設したNF-104も製作され、まさに宇宙に近い戦闘機となった。

射出座席の変遷

余談ながら、
初期の機体は尾翼への接触を懸念して射出座席が下に射出されるようになっていた。
しかし、下方射出方式は低高度での緊急脱出に問題があり、前述の「低速での安定の悪さ」と相まって、離着陸時の事故でパイロットが死亡する事例が続出してしまった。
パラシュートが開く前に地面に激突する)
後に全機が改良された射出座席を搭載し、上方向への射出へと変更された。

防空戦闘機として

このような戦闘機なので『アメリカ空軍防空軍団ではさぞ活躍しただろう』と思われるかも知れない。
実際には防空システムとのリンク機材(SAGEシステム)を搭載するスペースが無く
さらには航続距離が不足して、武装も貧弱なので嫌われたと言われている。
(F-102のE型システムなら搭載可能だが、これはもともとF-86Dの旧型システムなのだ)

事実、1958年2月に運用が開始されたが、1960年には一度退役している。
1963年には復帰しているが、1970年以降に再び退役した。
これはF-106に比べても現役期間が著しく短いといえるだろう。

やはりソビエト流の戦場戦闘機では、本土防空のように長い航続時間や大きい射程、高速を求められる任務は困難なのだ。
事実、ソビエトでは迎撃専用の戦闘機は別に開発している。
戦場戦闘機の役割はあくまで『戦場近くから発進し、戦場上空の制空を行う事』だったのだ。

コンセプトの有効性こそ認められたものの、防空戦闘機としては不適格と判断された。
ソビエトアメリカの防空事情は違いがありすぎたのだ。
このF-104で小型軽量の意義を再確認したアメリカだったが、
『小型は不便』とも感じたようで、続くF-4F-15では再び大型化の道をたどっている。
(大出力エンジンの意義は認められたようだが)

戦闘爆撃機として

上昇性能を重視して設計されたF-104だが、この構造が招いた意外な『副作用』があった。
翼面加重が高くなったお陰で、低空での速度性能や安定性も高いものとなったのである。そのため、低空を高速で侵入し、精度の高い爆撃を行える戦闘爆撃機としてのF-104の活路が見出された。
だが、航続距離が短いという如何ともしがたい弱点があったため、アメリカ本国でこの特性が活かされることはやはりなかった。
一方で、冷戦の最前線であり、航続距離の短さをあまり気にしなくていいヨーロッパ諸国は、こぞってこの特性に注目した。
こうしてF-104は、制空戦闘のみならず戦闘爆撃もこなすマルチロール・ファイターとして、西ドイツ、オランダ、ベルギー、ギリシャなどなど、ヨーロッパの多くの国々で採用されていくこととなる。在欧部隊向けに採用したカナダは、レーダーの対空機能をオミットし、純粋な対地攻撃機としてF-104を運用していたほどである。これらの国々のいくらかでは、有事の際にはF-104にアメリカが管理する核爆弾を搭載し、ワルシャワ条約機構軍へ戦術核攻撃を行う事になっていた。
ただ、安定性の高さは機動性の悪さの裏返しでもあり、ヨーロッパの天気の悪さも相まって、低空侵攻を行うF-104の事故率を高くする一因にもなってしまっている。

輸出戦闘機として

このF-104は輸出戦闘機としても用いられた。
当時のアメリカの戦闘機としては比較的簡単な戦闘機であり、高度な機密を搭載する余地が小さいのも大きいだろう。これは元になったミグ戦闘機にも共通している特徴である。
(あくまで『他のセンチュリーシリーズに比べて』の事であり、のちにF-5が登場するとそちらが多く用いられた。第一、ショックコーンの事だけでも大きな機密だったのだ)

このようなシンプルさ故に、気候が厳しい国でも維持ができるのだ。
現にヨルダンやパキスタンといった、乾燥の厳しいにも輸出されている。
(ただし、複雑なレーダーを維持できたかは別だが)
また、そうでなくとも高い上昇力は魅力であり、迎撃戦闘機として日本でも採用された。

ちなみにドイツでは専制核攻撃で被害を受けた際に滑走路を使用せずに打ち出す研究がされていた。ロケットブースターを用いてカタパルトから打ち出し、戦術核弾頭を東側へと運ぶという方法である。ちなみに配備直前に戦略変更で放棄された。
実機が作られることは無かった、二個一で双胴化したものや主翼にラムジェットエンジンを追加したものも計画されていた。

余談

余談ながら、主任設計者ケリー・ジョンソンは、F-80の評判を聞きに実戦現場に出かけていき、そこで得られたパイロット達の要望に応えてF-104を設計することになる。

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