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ブラックバーン・バッカニア

ぶらっくばーんばっかにあ

1950年代に開発されたイギリス海軍・空軍の攻撃機。最初から低空侵入・低空核攻撃を目的に開発されているのが特徴。1958年に初飛行して以来、生産メーカーが2回も変わっており、1994年の退役までの長い間活躍した。左右に割れてエアブレーキになる尾部コーンもチャームポイント。
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その名は「バッカニア」編集

ブラックバーン・バッカニアの開発はソビエト海軍の大幅増強が契機である。

1950年、イギリスソビエトによる「スヴェルドロフ級巡洋艦」30隻の大量建造計画を掴んだのである。


もちろん、30隻も完成すれば海軍の軍事力バランスは大きく傾いてしまう。

だが対抗して建造しようにも、30隻建造の出費と時間はあまりに大きかった。


そこで考えられたのが航空機による対抗で、当時新開発の核兵器でもって一網打尽にする作戦が考えられたのである。


攻撃方法は低空侵攻による「トス爆撃」で、(これはF-105にも通じる攻撃法である)

そのために高い機体強度を確保、また機内に爆弾倉を設けるものとされていた。


トス爆撃とは編集

もちろん佐賀県鳥栖市の事ではない。

「トス」とはバレーボールの用語で、アタックに備えてボールを(打てるように)高く上げる事を指す。

爆撃の場合は『低空侵入の後、目標手前で急上昇しながら爆弾を投下する』ことで、

つまり爆弾を「高く放り投げる」という爆撃法である。


スヴェルドロフ級巡洋艦編集

ソビエト海軍最後の「大砲を主武装とする巡洋艦(砲装型巡洋艦)」。

全長210m・基準排水量1万3600トンの船体に152mm3連装砲4基を主武装として搭載した大型艦だったが、次なる「キンダ級巡洋艦」ではミサイルが主武装とされ、早くも時代遅れとなったスヴェルドロフ級はフルシチョフにより建造中止が言い渡され、建造中だった7隻が建造中止の後解体・計画中で番号が付けられていた3隻が計画中止となった。

それでも14隻が完成して就役しており、手頃な大きさだったこともあって改装や近代化などを行いつつ以外にも長く運用された。

ちなみに改装のパターンは様々で、通信設備を大幅強化して個艦防空ミサイルとヘリコプター用航空艤装を備えた指揮艦型(2隻改装)、「AK-230」30mm連装機関砲システムを搭載した近接防御火力強化型(4隻改装)、果ては3番砲塔と引き換えに「ヴォールホフM」艦隊防空ミサイル・システムを搭載したミサイル巡洋艦型(1隻改装)もあった。


「バッカニア」とは編集

17~18世紀にカリブ海を荒らしまわった、主に地元民による海賊

この地元民はヨーロッパからの入植者に土地を追われた者たちで、

海賊でありながらも「子供や老人には乱暴を働かない」などの掟を持っていた。

名前の由来は航海食にしていた干し肉『ブキャナン』から。


シミターの後継者へ編集

1952年6月、以上のような要求が「要求仕様書NA.39」としてまとめられた。

1953年にはより詳細な「要求仕様M.143T」となり、これを受けて国内3社が設計案を提出した。


比較審査の結果、採用を勝ち取ったのはブラックバーン社による案である。

低空での安全性と戦闘による生残性を確保するためにエンジンが双発(2基)とされ、

核爆弾は機内に設けられた回転式爆弾倉に収められるようになって空気抵抗の低減を狙った。


また機体の強度も大きく取られており、低空での乱気流や回避運動に備えている。

さらに境界層の制御技術も導入され、艦載機としての運用に問題ないように工夫されている。

最初の試作機は1958年に初飛行に成功し、それからは長い間テストに供された。


海軍立志編編集

イギリス海軍へ実際の部隊配備が始まったのは1961年となった。

スーパーマリン「シミター」の後継機として採用されたが、さっそく問題に突き当たっている。


その問題とは『エンジンのパワー不足』でなんと燃料を半分にしないと空母から発進できないという欠点が明らかになったのだ。この問題の解決にはエンジンのパワーアップしか無く、1963年にバッカニアS.2が登場するまで悩まされた。(一部はS.1からも改造された)


多少のトラブルこそ経験したものの、実戦配備されたバッカニアの評判は上々だった。

当初から低空性能を重視していた事もあり、演習でも「手ごわい相手」と見なされていたのだ。


のちに海軍では通常型空母を全廃する事が決まり、

配備されているバッカニアもすべて空軍へ移管された。軍歴は空軍で続いていくのである。


空軍「野望」の章編集

さて、RAF(王立空軍)におけるバッカニアの歴史は1956年に始まる失敗が契機である。


当時のRAFはEE「キャンベラ」爆撃機の後継機を求めていた。

そこで、

・不整地からの短距離離着陸(STOL) を行い、

・低空を超音速で侵攻でき、

・1,850 km以上を(無給油で)飛行できる核兵器搭載爆撃機

という要求仕様をまとめ、1957年から本格的な開発作業を開始した。

BAC「TSR-2」の登場である。


だが、あまりに野心的な内容だったために開発は難航し、

1965年に労働党が政権をとるとTSR-2は開発中止にされてしまう。

RAFは代替としてF-111Kの購入を希望したが、これも予算の関係で中止となる。


もとをただせば『低高度専門の戦闘爆撃機(≒攻撃機)』が欲しかったのであり、バッカニアは元々低高度の得意な攻撃機である。つまり答えはすでに手元にあったという訳で、

こうしてRAFはバッカニアに白羽の矢を立てる事になったのである。


RAF向けバッカニアは最初からエンジン換装型のS.2が充てられ、

もちろん得意な低高度侵入能力を生かして攻撃機として活躍している。

湾岸戦争では主にトーネードの投下するレーザー誘導爆弾の、その照準レーザー照射役を務めた。(のちに自らも投下している)


湾岸戦争に投入された12機のバッカニアは全機無事に任務を終了し、

1994年3月31日には所属しているすべての機体が退役となった。


海賊の特徴編集

バッカニアはF-101F-105と同じような目的で製造され、(つまり戦闘爆撃機

例えば主翼付け根にエアインテイクを設置している点やT字尾翼、回転ドア式爆弾倉などはF-101とよく似ていると言えるだろう。

イギリス独自の設計はハンドレページ「ヴィクター」と同じように『三日月翼』が採用されている事で、これは主翼前縁部の後退角の違いで識別することが出来る。


特徴的なのは『低高度を(亜音速ながら)高速で爆撃する』という点である。

この特徴のおかげで「油断すればいつでも爆撃される」機として演習で恐れられた。


だが低高度の飛行は機体にかかる負担が大きく、実際に疲労で墜落する機体が問題になっている。

この疲労によって1970年代後期から墜落事故が連続しており、

のちの調査ではさらに「配備機体の3分の2に機体構造の疲労が見つかった」のである。

結果、傷みの激しい機はそのまま退役させられ、残りも順次修理に回されることとなった。


海賊、海を渡る。編集

といっても実際に渡ったのは南アフリカだけである。

1963年に16機が採用され、65年から配備を開始された。

だがアパルトヘイト政策をとる南アフリカには武器輸出規制が度々行われており、

のちに予備部品の輸出までも停止される事になった。


1978年のアンゴラ紛争で実戦投入されたが、すでに稼働機は6機にまで減少していた。

1988年、和平条約が締結された時点では4機まで減っている。

この後バッカニアは1991年に退役し、こうして海外バッカニアの歴史は終わった。

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