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三菱F-1

みつびしえふわん

第二次世界大戦後、日本が完成させた初めての戦闘機。国産練習機T-2をベースに戦闘爆撃機(攻撃機)として運用することを前提に開発されたが、要撃任務においては残念な性能になってしまった。2006年退役。
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求められる戦闘爆撃機

当時、航空自衛隊では最新鋭機としてF-104の配備が進んでおり、これにより余剰となったF-86支援戦闘機攻撃機)として転用される事になった。

だがF-86は搭載能力が不足しており、航続距離も短いという欠点があった。特に広大な海域を有する日本にとって、対艦攻撃能力が著しく不足している点は大きかったのである。F-86は対艦攻撃能力は爆弾ロケット弾に頼るほかなく、しかも主翼の増漕用ハードポイントを潰して搭載するほか無かったのだ(これはMiG-15にも共通している)。

しかも初飛行は1947年と、機体そのものも旧式化しており、十分な能力をもった新型機が求められていた。

『ゼロからワンへ』

1971年に初飛行した超音速練習機T-2は、当初から戦闘機にも転用できるように設計されていた。

これは『国内の技術開発能力を育成するため』という理由があり、このために費用面では不利な国内開発を選択していたのだ。

1973年、国会で試作機2機の製作予算が認められ(1974年度予算)、生産中だったT-2の6/7号機がこれに充てられることになった。6号機は飛行試験機、7号機は電子機器の実験機としてそれぞれ改修され、1975年から試験が始まった(飛行試験に関してはT-2とほぼ同様で、6号機は早々に電子機器実験用に改造された)。

1975年には最初の調達予算が計上され、1977年から87年までに77機が生産された。T-2と併せた生産数は173機となり、費用に見合った効果は得られたと判定された。

F-1の実態

F-1はT-2と同じく、
・主翼の面積が小さい
・推力対重量比に優れる(最大出力の総合が重量以上)
という特性を持っている。

この特性はF-104にも似ていると言われている(これもT-2同様)。なお実戦用装備を追加している分、練習機であるT-2よりも重量が増加しており、飛行性能は低下している。(後述)

主翼は超音速性能を重視してとても薄く作られており、燃料タンクを内蔵していないタイプである。(このような主翼を『ドライウィング』という)従って燃料搭載量は少なく、任務が長距離に及ぶ場合は主翼等に燃料タンクを吊架する。

エンジンイギリスの『ロールス・ロイス・チュルボメカ RT.172 アドーア Mk 102』をベースに石川島播磨重工業株式会社がライセンス製造した『TF40-IHI-801A』を2基搭載する。
燃費には優れていたが、肝心の出力は初期のものがベースとあったうえ、ヨーロッパと日本の気候の違いにエンジン側が対応しきれておらず、その結果、カタログスペックどおりの出力が出ずに2基あわせても不足気味となった。

エンジン側の問題もあるが、根本的な原因は重量増加である。
兵装用コンピューター等を追加している分、ただでさえ重量がT-2より350kgも増えており、その上爆弾や増槽などの重量物の搭載によって必要な推力が増大してしまい、エンジンの出力不足が相対的に不足する結果となった。
その非力ぶりは、アフターバーナーを焚かないと離陸さえできないとまで評された。

また、T-2の後部座席を取り外して電子部品を積み込み後部キャノピーも金属製のカバーに替えられたため、前の操縦席からも後席キャノピーを通して見えていた部分は完全に塞がれてしまい、後方視界が劣悪という弱点も抱えていた。

その過程において、「アドーアの悲劇」と呼ばれる一件が有名で通説のように語られている。その内容だが、

  • エンジンの出力不足が起きていたことから、ロールスロイスのあるイギリス側に改良型エンジンの情報提供や日本製アドーアの改良などのサポート契約を要望するも無視。仕方なく日本側でエンジンの独自改良に踏み切ったが、ライセンス製造に関わる契約の都合上改良の情報は丸ごとイギリス側に渡ってしまい、その情報提供を受けてロールスロイスで改良型アドーアエンジンが作られるも日本には輸出もライセンス製造の許諾も出ず(つまりせっかく改良したエンジンは情報を渡しただけで日本側は使用できなかった)、挙句の果てには次期FS-X選定の頃には今さらのように改良型アドーアを改良した本人である日本に売り込みをかけられるというとんでもない事が起きてしまった。
以上の経緯が、この後長きにわたる自衛隊の欧州機(特に英企業)不信(などと言う生やさしいものではなく、嫌悪、憎悪に近い悪感情)につながっていったとされているが、そもそもこの説だが、開発者の回顧録や取材などで明言したわけではなく、裏付けの取れていない説でもある。

そもそも、エンジンの出力不足と改良型エンジンが導入できなかったのもきちんとした理由がある。
  • まず、アドーアエンジンだが、採用されたのはF-1ではなく、T-2からであることを考慮する必要がある。T-2を開発するための予算が初めて請求されたのは1967年であり、T-2自体はF-104の設計思想の影響を受けていたが、その欠点を改良する形で進められ、同時にこの時点で入手可能なエンジンを前提に開発しており、そこでアドーアが登場することとなる。この時、他のエンジンも候補には入っていたものの、カタログスペック上では優れていても開発中で入手できない点、F-104で使用されていたJ79シリーズの採用も検討され、エンジンの出力ではアドーアに勝っていたが、T-2の設計思想に合っているエンジンとはいえず、結局、1968年に初飛行していた英仏共同開発のジャギュアで採用され、要望する条件を満たしていたアドーアエンジンを採用することとした。
  • ここで問題となってくるのは、アドーアエンジンの開発状況である。このエンジンはジャギュア用に開発された関係で、エンジンとしての歴史は始まったばかりの代物であった。最終的に他国へ販売され、多くの実績を積むことになるのだが、自衛隊はT-2の開発を優先することやエンジンの入手を優先した結果、完成したばかりの初期型のエンジンを採用する形となってしまった。
  • そうなるとF-1の開発に合わせて改良型アドーアエンジンに切り替えればいいと思われがちだが、英語版wikipediaのアドーアエンジンのページの情報に基づけば、肝心の改良型アドーアエンジンの性能向上型と言えるモデルが登場したのは1980年代初頭と言われている。F-1の開発自体は1973年からスタートしている状況であったため、改良型を待つ余裕すらなく、改良型が登場した1980年以降はすでに予備機として生産している状況であり、生産途中で切り替えて性能向上を行うという手も使えず(F-15Jの場合、生産期間が長かったことや途中で米国のMSIPの登場を反映したこともあり、生産が進むにつれ、性能向上を果たしている)、改良型を採用したくてもできない背景もあった。

以上のことから、この過程でのイギリス側の対応が自衛隊の不振を招いた可能性もあるが、推測の域に留まる。一応擁護するなら、アドーア自体、モノは完成していたものの、1970年代は開発途上の段階で、イギリス側が不親切であったというよりは、イギリス側も改良型の開発中の段階で、日本側に協力したくてもできなかったという可能性もある。一応、T-2も含め、運用された際に発生した不具合などにはイギリス側も協力したと言われ、全くサポートしていなかったわけではない。

そのため、アドーアエンジンの採用が失敗というよりは、予算の制約のために時代に合わせた改修が出来なかったため、陳腐化が早かったという欠点が、アドーアの存在もあって拍車をかけたと考えるのが自然である。

この背景だが、自衛隊にはよくあることだが、日本の財務当局の査定では後付け改修の予算が通りにくい。F-1も後に電子妨害装置などを搭載するための追加予算を得られなかった。また、エンジンの出力不足の問題も改良型アドーアエンジンによって改善できる可能もあったが、そのための予算も内輪では検討されていたとしても、予算の問題がネックとなり、公式に申請されないまま、終わることとなった。結局、これらの問題ないし不安要素は退役まで解決されることは無く、F-1は最後まで欠点を抱えたまま任務に就き続けることとなった。

後知恵ではあるが開発を始める時期をずらせていれば、改良型アドーアエンジンを採用できた可能性もあるが、T-2自体、同機を将来的に支援戦闘機へ発展することを前提に設計されていたため、T-2の完成に合わせてF-1の開発を始めなければ、予算を入手できない可能性が高く、結局、予算という鎖に最後まで縛られることとなった。

とはいえ、F-1(とT-2)で得た開発の経験は後に生かされることとなり、結果的ではあるが『国内の技術開発能力を育成するため』という目的が、巡り巡ってF-15JやF-2のエンジンのライセンス生産で活かされることになったため、その点ではある意味成功だったことが唯一の成果かもしれない。

The・対艦番長(初代)

F-1最大の特徴は国産対艦ミサイル『ASM-1』の運用能力である。
このミサイルはロケット駆動にて50kmの射程をもち、
初期は慣性誘導(まっすぐ飛ぶだけ)、最後は自身のレーダーで敵艦を狙う。
三沢基地のF-16にはAGM-84「ハープーン」が配備されていないようで、
対艦攻撃機としては非常に重宝された。

この事はF-1と入れ替わりにF-2が配備された事からも明らかであり、
日本海東シナ海を睨む青森県(三沢)や福岡県(築城)に配備されている。
(春日基地にはモニュメントとして1機が残されている)

また、主翼の面積の小ささからくる高い翼面荷重は横風に強く、F-104等と同じく低空高速侵攻には有利となった。国産の電子機器も対地攻撃に向いたものとなっており、攻撃機としての能力は十分である。

その反面、空中機動性の低さから空戦にはあまり向いていない。

F-1は空戦が苦手

空戦は不向きな部類とはいえ、爆弾さえ投棄すれば一応格闘戦にも対応できる。ベトナム戦争の戦訓を受けた70年代の開発という事で機銃も搭載されるようになっており、コクピット左下にはJM-61A(総弾数750発)が装備されている。

実際にAIM-9を装備して「アラート任務」にも就いていた。(最大4発搭載可能)が、前述の通りチャフやフレアも持たせてもらえず(後付けでスピードブレーキにチャフを挟み込むという時代遅れの強引な手法が用いられた)、前述の通り小さな翼に非力なエンジンの組み合わせで旋回能力は高くなく、戦闘機としての能力には不安があった。

時代は再び『ゼロ』へ

時代は21世紀へと移り、軍用機に求められる性能は「マルチロール」化した。空戦で期待される活躍も『格闘戦』へと先祖帰りし、世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空能力を兼備する戦闘機が求められた。

その名は「F-2」、非公式愛称はヴァイパー・ゼロF-16を基に全面改設計を施し、F-1で得られた経験を盛り込んで、マルチロール機として十分な能力を持ち合わせた機体となった。

余談

兵装コンピューター搭載に伴い塞いだ後席の上半分は空っぽであり、手荷物入れとなっていた。通常の戦闘機はちょっとした手荷物すら貨物ポッド等を吊るさないと運べないくらい機内に余裕が無いため、ある程度の荷物が運べたF-1の荷物スペースはパイロットには地味に重宝されたという。

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