非公式な愛称はグラーチュ(ミヤマガラス)。
概要
アメリカのA-10のような機体の必要性を感じた旧ソ連が開発した攻撃機。
その外観はフェアチャイルド社のYA-10との競作だったノースロップ社のYA-9にそっくりだが、YA-9の方が先に開発されている。
もとより超音速巡航能力は考慮されていない設計であり、主翼の形状も直線に近い。
広い主翼には多くのハードポイントがあり、A-10と同じく多くの兵装を吊架できる。
通常爆弾やKh-25等の空対地ミサイルだけでなく、SPPU-22(23mm連装機関砲ポッド)や誘導爆弾も搭載可能。
固定武装の機銃はGSh-30-2 30㎜機関砲。総弾数は250発。
コクピット周辺はチタン合金の装甲で守られており、これもA-10と同様である。
エンジンは内蔵燃料タンクを覆うように配置されているが、こちらは装甲されていない。
(エンジンも燃料タンク用装甲の一種とみなしている為)
ソ連のアフガニスタン侵攻では、ムジャヒディンに供与されたFIM-92スティンガーミサイルによる被害が続出。
片方のエンジンに被弾し、その破片が胴体(と燃料タンク)を貫通してもう片方のエンジンを破壊する事態が多発したという。
その対策として両エンジン間にはチタン製の装甲が追加され、更にガス式の消火システム、フレアディスペンサーなどが追加され、以来スティンガーで撃墜される事は無くなったと言われている。
Su-25は単座型を中心にトビリシ(現グルジア)で生産されていたが、独立後もそのまま2010年代頃まで生産が続けられたようである。
皮肉にもグルジア独立紛争ではロシア・グルジアの両軍が赤い星の付いたSu-25を投入し、お互いに空爆し合った。もちろん、誤射も多発している。
Su-25は現在でもロシアの主力攻撃機(の一つ)であり、今後も運用が続くようだ。
HUDの搭載やミサイルの運用能力を持たせるなど、近代化改修も進められている。
後継機となるSu-25TM(Su-39)が複座型からの派生という形で生まれている他、グルジアとイスラエルの企業の共同開発による改修型であるSu-25KM スコーピオンが開発されている(ただしいずれも少数生産)。
また、ロシア海軍向けの複座型艦載型も存在しており、艦上訓練用練習機仕様のSu-25UTG(Uchebno-Trenirovochnyi Gakovyi)、NATOコードネームフロッグフットBが空母アドミラル・クズネツォフで運用されている。
艦上での運用のためにアレスティングフックの追加や着陸装置の強化などが行われているが、Su-33UBと違い、攻撃用装備の一切が外されており、戦闘任務への参加は不可能となっている。
着艦失敗等により損傷した2機は修理と同時に行われた近代化改修により、エンジンの換装等が行われており、運用期間の延長が行われている。
A-10との比較
機体サイズはA-10よりも小型であり、燃料、武装搭載量も少ないが、速度性能はこちらが上(最大950km/h)であり、巨大なタイヤや前脚の泥除けのおかげで非舗装路での着陸能力にも秀でている。ジェット燃料だけでなくガソリンや軽油でも飛ぶことができる。
これは長時間の前線上空待機によって即応性を高めているA-10に対し、Su-25が運用拠点を前進させ、出撃から到着までの時間を短縮することで即応性を確保しているためである。
A-10の方式であれば理論上は支援要請に最速で応じることが可能となるが、自衛能力に乏しい機体を長時間滞空させるため、絶対的な制空権の確保が前提となってしまう。
対してSu-25の方式はリアクションタイムは延びるものの、飛行時間が最低限で済むため、機体の機動性も相まって多少の対空脅威が存在する環境でも支援を強行することが可能である。
また、A-10に複座の練習機型は存在しない(正確に言うと試作のみに終わった)が、Su-25には存在する。
A-10はアメリカでしか使用されていないが、Su-25は広く輸出され、A-10とは違う意味で実戦経験が豊富。現在も小国の紛争で度々姿を見せている機種である。
アゼルバイジャンは駐留していたロシア空軍機を強奪して隣国アルメニアとの戦いに投入、ブチ切れたロシア空軍は離陸してすぐ飛行場をロケット弾で破壊するという仕返しをしてから本国へ帰っていった、なんて珍エピソードや、イラクでは湾岸戦争やイラク戦争でほとんど消耗したもののISILとの戦いにおいて再び中古機を揃えて投入(旧空軍時代のパイロットを再起用すれば即戦力にできるため)、なんて事もあった。
ソビエトはチタン装甲の元祖
チタンは地殻付近で鉄に次いで埋蔵量が多い金属であるが、鉱脈になりにくく、加工も難しいので(比較的)最近まで利用されなかった。
また、冷戦期のチタン鉱脈の殆どは共産圏にあったので、ソビエトはこれを積極的に利用した。
加工のし難い金属であった為、軽さと剛性を生かした装甲として活用されている。
(装甲板ならば「ただの板切れ」でも利用できる為)
ここで蓄積されたノウハウはソ連崩壊の際に流出し、現在では世界中でチタン製品を利用できるようになっている。
ちなみに、冷戦中にアメリカはダミー企業を介してソビエトから輸入し、軍事用に利用している。
(例:SR-71の部品など)