概要
通称「ブラックバード」
地上最強のオヤジやカミキリムシみたいな音を立てる吸血鬼の旦那が乗り回した実験機を除くと世界最速の航空機。世界最速の大気圏内飛行記録は有人機X-15の7,274 km/h、無人機X-43Aの12,144 km/hである。
最近では変型や合体までこなすようになった。(ただしそれ以前にマシンロボ化されている。>ブラックバードロボ)
ちなみに実用された中で最速の戦闘機はMig-25、最速の旅客機はコンコルド。
本項のSR-71・ブラックバードは偵察機である。
映画「ナイトミュージアム2」では舞台が同機が展示されるスミソニアン博物館で航空博物館のシーンも多くあったにもかかわらず、黄金の石版の魔力で変型する恐れがあったため出演が差し控えられた。
実際のSR-71
「アークエンジェル12号」
元はCIAのスパイ機A-12に始まる。
A-12の「A」とは、CIAのスパイ機開発計画「アークエンジェル」を意味し、
「12」はその12番目の設計であるという意味である。
(当然11ものボツ案がある)
人類未踏のマッハ3を発揮し、高度24,000mという防空ミサイルすら届かない高度を飛行する。
その後、ジョンソン大統領がYF-12として公表した。その時は機体平面形が非公開だった。
機体全体はラジエータのようになっており、マッハ3で熱せられた機体を冷却しながら飛行する。
そのために専用の燃料「JP-7」が開発された。
これは非常に発火点の高い燃料で、常温では流動性がほとんど無い。
エンジン始動では専用の燃料加熱機を使い、流れるくらいまでに熱してから始動となる。
この燃料が血管のように張り巡らされた燃料パイプを通ることで機体を冷却し、マッハ3の熱に耐えようという考えである。
また、タイヤはそのままでは熱により溶けて着陸も出来なくなってしまうため、後部着陸脚に使用しているタイヤはゴムにアルミ粉末を混入した特別製のものを使用している。(前部着陸脚はそこまで高温とならないのか、通常のタイヤを使用している写真もある)
それでも大気の圧縮熱は凄まじく、最大速度では機体が数センチ伸びるという。
さすがのスカンクワークスもこれ程の環境変化に対応した設計は無理だった。
なので『マッハ3の環境で正常』となるように設計され、例えば地上では燃料がダダ漏れだったりした。
(のびる事を見越して隙間を作ってある)
そのため地上では燃料を満タンにせず、離陸後に空中給油を行うのだが、タキシング中に漏らした燃料でスリップして事故ることもあった。
また、着陸後しばらくは熱のために誰も近づけない。
沖縄では格納庫のスプリンクラーが誤作動し、搭乗員や地上員が皆ずぶ濡れになった話がある。
なお沖縄に配備された機体は現地の毒ヘビの名をとって「ハブ・プレーン」というニックネームを付けられた。
アストロノーツ?
高高度飛行のためにはパイロットは与圧のための特殊なスーツを着用し、
他人の介助が必要な状態で乗り込む必要があった。
(U-2偵察機のパイロットも似たようなスーツを着る)
飛行前には体内の窒素を追い出すために4時間以上掛けて純酸素に体を慣らし、任務終了後も長時間かけて空気に体を慣らす必要がある。
非常に嵩張るので着るにも介助が必要。
まさに宇宙服といったところだが、大体その通りだったりする。
任務は長時間にも及ぶが、もちろん食事のために服を脱ぐ事すら出来ないため、専用に作られるチューブ内のペースト状の食料を食べる。
食事の際にはチューブにストローを接続し、ヘルメットの穴から差し込み、中身をすい出して食べる。(U-2用も同様)
一応スーツにはオムツがあるそうだが、ほとんどのパイロットはその機能が不要になるようにミッション数日前から同じ食事をして当日の摂取量や摂取間隔を調節するという。
意外にも主食風からデザート風までメニューは豊富で、新メニューの開発はパイロット共に行うとか。
後に戦略空軍が採用。
偵察オペレーターを追加して2人乗りとなった。
偵察衛星よりもずっと低い場所を飛ぶので、写真の鮮明さには定評があった。
プエブロ号事件や北ベトナム偵察など、様々な武勇伝があったが1998年に惜しくも退役した。
詳細はwikiにて。
「71」とは?
元々「RS-70」というものがあり、
これはXB-70が制式採用になった暁につけられるはずだった型式番号である。
SR-71も本来爆撃機として使う事を考えられていたのだ。
ただしXB-70は諸般の事情でポシャり、ICBMがその任務を継いだため、
結果的に「戦略偵察機」としての分類は間違っていなかった事になる。
スネークイーター作戦
実はMGS3にも派生機が登場している。
その派生機とはM-21で、スネークの乗ったD-21の母機である。
このD-21の動力はラムジェットエンジンであり、超音速でないと点火できないため、分離はマッハ2で行う必要があった。この行動には危険があり、実際に2号機が分離後の接触で墜落している。
実際のD-21運用はB-52から行うことになったが、結局4度実行してD-21が帰還したのは2回のみ、いずれもフィルムの回収に失敗し、こうして超音速無人スパイ機は実用性に大きな問題を残して終わった。
しかし帰還しなかった2回のうち、ソ連は少なくとも1機を回収したらしく、後に類似した無人偵察機「ヴォーロン」開発計画が出された。ただ、ソ連でも様々な問題が噴出したようで、実現せずに終わった。
詳しくはこちらもD-21
JP-7について
発火点の高さは燃料缶に火の点いたマッチを放り込めばマッチの火が消える、とまで言われている。
(ただしマッチの点火直後は2,500℃程なので、やはり火は点く)
専用の燃料で、揮発点(引火点)は60℃と低く、発火点が282~288度と極めて高い。
JP-4とは違った取扱いが必要で、空中給油機にも専用の機が用意されている。