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零式水上観測機

れいしきすいじょうかんそくき

零式水上観測機とは旧日本海軍で運用された軍用機の一種である。

概要編集

零式水上観測機は旧日本海軍で偵察・弾着確認用として採用され使われた複葉複座の水上機である。

制式名称は「水上」の付かない「零式観測機」であるが通称として「零式水上観測機」、「零式複座水観」と呼称されることもあった。

略称は「零観」。

日本の軍事組織が採用した複葉機としては最後の機種になる。

開発した三菱重工業は水上機の開発経験がほとんどなく、設計主務を務めた佐野栄太郎も設計者としての高等教育を受けておらず三菱造船所で技術者として上り詰めた叩き上げという異例の機体であった。

多くの戦艦、重巡洋艦に搭載され有名な戦艦大和にも搭載されていた。

既に全金属製単葉機が主流となった時期ながらも空戦能力と上昇能力を重視してあえて制作された複葉機であり、当時の先端技術で設計されているため従来の複葉機とは一線を画す性能を与えられている。


これ以前の海軍機において機銃の発射把柄(トリガー)は操縦桿に装備されていた。しかし射撃の際に操縦桿に力がかかり機体の姿勢が動いてしまい弾道がズレる欠点があった。搭乗員からこれを指摘された佐野は発射把柄をスロットルレバーに設計変更。良好な結果を得られたことから海軍ではスロットルレバーに発射把柄を配置するスタイルになった。


太平洋戦争時はすでに海戦でも航空機が主力を務めるようになったことから本来の任務である着弾観測に使われることはほとんどなくもっぱら偵察機として運用された。

観測機ながら空戦性能にもある程度高い水準を求められた結果、運動性の高い設計となっており、二式水上戦闘機よりも軽快だったといわれている。ただし九六式艦上戦闘機には劣ったとの証言がある。

大戦中期には零戦と協力してP-38を撃墜した、鼠輸送で何度も援護を受けた田中頼三が感謝の言葉を述べたなどの逸話がある。

大戦末期に至っても、1945年2月にアメリカ本土空襲で知られる藤田信雄が操縦する鹿島航空隊所属の本機がヘルキャットを撃墜したという記録も残っている。

このとき藤田機以外に迎撃に上がった5機のうち2機は機銃の故障により撤退、残る3機のうち2機は撃墜され、さらに同時に迎撃に上がった二式水戦2機のうち1機も撃墜されている。


登場作品編集

太平洋戦争時の多くの水上艦艇に搭載されていたことから多くの作品に登場する。

「亡霊戦士」に登場。孤立無援の孤島でたった一人で戦う日本兵の乗機として登場し、「あんな重い機体で軽快な二枚バネに挑戦するとああなる」とF6Fを返り討ちにする。


ちなみに『宇宙戦艦ヤマト』に登場するコスモゼロのモチーフは実は零戦ではなく本機だったといわれている。ただし制式名称が「零式宇宙艦上戦闘機」であること、『2199』では「零式52型空間艦上戦闘機」で機体特性に零戦を彷彿とさせる設定があること、ひおあきら漫画版では「宇宙零戦」と呼称されるなど作品上での扱いはむしろ零戦のそれである。

坂本少佐が修復された震電宮藤に届けるために使用した。

大和の初期装備として搭載されている。基地航空隊にも配備可能。

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