本名:菅野誠(1950年~)
『宇宙戦艦ヤマト』などのコミカライズで知られる。ヤマトのバルバスバウがどアップで描かれるのが特徴。
『地球へ…』(竹宮惠子)ではメカニックのデザインと作画で協力した。
中学校の同級生だった細井雄二、田村仁、近藤雅人と同人サークル「ミュータントプロ」を結成し、石森章太郎の『墨汁一滴』にならって同人誌『墨汁三滴』を発行(石森章太郎が名誉会長、松本零士と久松文雄が名誉副会長を務めた)。後に河あきら、すがやみつるも合流した。
1973年、「テレビランド」(黒崎出版)3月号より『愛の戦士レインボーマン』(NET)、9月号より『マジンガーZ』(フジテレビ)のコミカライズを連載(「菅野誠」名義)。
1974年、朝日ソノラマから『宇宙戦艦ヤマト』(讀賣テレビ)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全3巻)。
1975年、「3年の科学」(学研)に『未来救助隊アスガード7』(原作:石森章太郎)、「別冊テレビランド」(徳間書店)に『鋼鉄ジーグ』(NET)のコミカライズを連載。朝日ソノラマから『正義のシンボル コンドールマン』(NET)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全2巻)。
1976年、「テレビランド」(徳間書店)に『超電磁ロボ コン・バトラーV』(NET)のコミカライズを連載。
1977年、月刊OUT増刊「ランデヴーコミック」及び「月刊OUT」(みのり書房)で『サイレン戦記』を連載。
1978年、朝日ソノラマから『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(東映)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全3巻)。
1979年、朝日ソノラマから『宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち』(フジテレビ)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全2巻)。
1980年、朝日ソノラマから『ヤマトよ永遠に』(東映洋画)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全2巻)。
1983年、朝日ソノラマから『宇宙戦艦ヤマト完結編』(東映洋画)のコミカライズを描き下ろしで刊行(全2巻)。