九六式艦上戦闘機
きゅうろくしきかんじょうせんとうき
九六式艦上戦闘機(以下、九六艦戦)は、日本海軍が1936年から1945年にかけて運用していた戦闘機。開発は三菱重工業、設計主任は堀越二郎。連合軍からの制式コードネームは「Claude(クロード)」。名称は正式採用された年号(皇紀2596年)の下2桁による。
日本海軍の制式機としては初めての全金属低翼単葉機であり、空気力学的な洗練を目的に空気抵抗軽減のための沈頭鋲の全面採用(九六式陸上攻撃機と並び日本初)や楕円形で厚みのある翼面構造の採用、翼端失速対策としての翼端ねじり下げ形状取り入れ(戦闘機としては初)などが行われた。
同時に当時の日本の低出力エンジンでも海軍の要求する高速性能(高度3000mで190ノット以上)や上昇力(高度5000mへの到達時間6分30秒以内)を発揮できるよう、徹底した軽量化も図られた。
その結果、試作機である九試単座戦闘機の1号機は海軍士官立会いの下行われた試験飛行において最高速度243.5ノット、上昇力は高度5000m到達時間5分54秒という要求を遥かに上回る性能を発揮、続く試作2号機は模擬空戦において従来型の複葉機である九五式艦上戦闘機をも圧倒する事となった。
その後も着陸時のバルーニング等の問題の解決や、エンジン選定等に手間取ったものの、1936年、ようやく部隊配置に至った。
最初の実戦投入は当時勃発したばかりの日華事変(日中戦争)であり、空母加賀艦載機としてそれまで苦戦していた対中華民国空軍戦で互角の戦いに持ち込めるようになるなど、南京方面の制空権確保に一役買った。
ただし、行動半径は400km程度であり、範囲外である重慶等内陸部での制空権は未だ中国空軍側にあった。
この事が、より航続距離の長い艦上戦闘機の要求に繋がり、また本機の成功に気をよくした海軍側の「ないものねだり」も重なり、結果的には後継の零式艦上戦闘機(零戦)開発へと繋がった。
零戦配備に伴い、九六艦戦は1942年末までにおおむね第一線を退き、以降は終戦まで練習機として用いられていた。