九試単座戦闘機
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きゅうしたんざせんとうき
大日本帝国海軍が艦上戦闘機として民間メーカーに開発を依頼した試作機。後の三菱九六式艦上戦闘機の開発・採用につながった。
1935年に開発競争の結果三菱内燃機製造(後の三菱重工業)のものが採用された、試作の固定脚レシプロ戦闘機。
後の零式艦上戦闘機の生みの親となった堀越二郎技師が主設計を担当した。
従来の戦闘機と一線を画すような空気力学的に洗練された形状で、沈頭鋲の全面採用、逆ガル翼、翼端の「ねじり下げ」など随所に先進的な工夫を折り込み、航空機後発国であった日本の戦闘機が一気に世界のトップレベルに達したことを告げるエポックメイキングな機体であった。
当時の艦上戦闘機は複葉帆布張り構造が主流で、本機が海軍機としては最初の全金属製低翼単葉機となった。
その後本機の技術やデータをもとに、実用量産機としてそれまでの戦闘機の性能を大きく向上させた九六式艦上戦闘機が開発された。
スタジオジブリ製作のアニメ映画『風立ちぬ』(原作・監督:宮崎駿)では、先述の実在技師をモデルの一人とした主人公堀越二郎(風立ちぬ)の、幼少期からの夢の実現というかたちで本機の開発から試験飛行までのシーンが描かれている。
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