概要
1940年代に入り、世界の主要各国ではジェットエンジンの開発や研究が急がれたが、当時のものはレシプロエンジンと比較して燃費が悪く航続距離の面で問題があったため、巡航用のレシプロエンジンに対しジェットエンジンを補助動力として用いる複合動力型の航空機が考案された。
当機も複合動力を備えた艦上戦闘機としてライアン社がアメリカ海軍からの発注を受けて1943年に開発に着手したものであり、試作機のXFR-1が1944年6月25日に初飛行している。
愛称として、「火の玉」や「流星」を意味する「ファイアボール」と名付けられた。
機首にはプロペラを備え、主翼の付け根にはエアインテーク、尾部にはジェットエンジンの排気口がある。固定武装は12.7mm機銃を4門備え、胴体下部には爆弾やロケット弾などを搭載可能。
1944年から翌年にかけてのべ700機(初期型のFR-1:100機・改良型のFR-2が600機)もの発注がライアン社に寄せられたものの、第二次世界大戦の終結によりこれらの発注はキャンセルとなり、最終的に製造されたのはわずか66機のみであった。
それに加えてジェットエンジンの信頼性が飛躍的に向上したことで当機の存在意義も失われ、配備から僅か2年ほどでお役御免となり、レシプロエンジンをターボプロップエンジンに換装した改良型のXF2Rダークシャークも開発中止となってしまった。
現存機はアメリカ・カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡チノにあるプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館にて静態保存されている1機のみである。