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百式司偵

ひゃくしきしてい

三菱重工業が開発した日本陸軍の戦略偵察機。型番は「キ-46」。高速であり、陸軍の主力偵察機として終戦まで活躍した。B-29迎撃のために機銃を搭載した型もある。総生産数は1742機。
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正式名称は「百式司令部偵察機(ひゃくしき しれいぶ ていさつき)」。

段付き風防の一型・二型と段なし風防の三型があり、特に三型が有名である。
最大速度は630km/hにもなり、陸軍実用機中最速のスペックを誇る。
(イラストは三型)

通称は百式司偵、百偵、百司、新司偵、ヨンロク(キ46なので)と呼ばれた。
連合軍のつけたコードネームはダイナ(Dinah)。
また、連合軍の兵士にはビルマの通り魔、地獄の天使、空のユリ、写真屋ジョーとも。

司令部偵察機

司令部偵察機とは日本陸軍独自の規格で、概ね
「前線から敵中枢まで、より広範囲を偵察できる速度・航続力・高度性能に特化した航空機」
の事を指す。

前任の九七式司令部偵察機(同じ三菱製)は当時の陸軍実用戦闘機である九七式戦闘機を上回る480km/hの高速を発揮。世界初の戦略偵察機として活躍した。
しかし将来的により高速の偵察機が必要と考えた陸軍は、九七司偵採用から七か月後の1937年12月、三菱に新型偵察機の開発を指示した。これが後の「百式司偵」である。

陸軍最速の偵察機

初飛行は1939年11月。
最初の試作機(キ46)の最高速度は540km/hの高速を記録した。
これは一式戦闘機零戦の試作機をも凌駕するものである。

だが要求仕様は『600km/h以上』だったので、陸軍は採用をためらった。
これに対し三菱は、引き続きさらなる高速を追及するという条件を提示した。
1940年(皇紀2600年)、キ46は『百式司令部偵察機』として仮採用される事となった。

皇紀2600年

この年に採用された機材に関しては、陸軍・海軍で名称が違う。
海軍では「零式」だが、陸軍ではこの「百式」という呼び方を使った。

実戦について

仮採用となった百式司偵(一型)はさっそく戦線に投入された。
1941年3月、エンジンを「ハ-102」に換装した二型が初飛行。最高速度604km/hを記録した。
12月には太平洋戦争が開戦し、全ての戦線で活躍している。
陸軍のみならず海軍にも協力し、日本の戦略偵察を一手に担い続けた。特に海軍については第151航空隊、第153航空隊、第302航空隊で陸軍から譲渡された百式司偵が活躍した。

1943年3月、エンジンを改良型の「ハ-112Ⅱ」に換装して空力を改善した三型の試作機が完成。翌1944年8月に制式採用された。
外観上の特徴は流線型の段無し風防であるが、視界の歪みや夜間飛行時の光の乱反射や亀裂が入るといった欠点があった。加えて実用化当初は「ハ-112Ⅱ」の不調により想定された出力を発揮できないなどのトラブルも起こった。(こちらは三菱から技術者を呼ぶなどして解決している)
最大速度は630km/hにもなり、陸軍実用機中最速のスペックを誇る。後期型では排気を推進力に変換できるように改良し、さらに12km/h程度の速度向上に成功している。
航続距離も長く、本体タンクだけで2600km。増槽込みの場合4000kmにも達する。
また日本機の中では高高度性能が優れていたため、大戦末期には小数が迎撃機に改造された(後述)。

1943年12月に四型が試作機として登場し1944年1月に初飛行した。
エンジンにターボチャージャーを備えた「ハ-112Ⅱル」を採用し高高度での性能向上を狙った。三型と同じく段無し風防で登場したが、風洞実験の結果空力的に大差がないため量産機では二型まで採用していた段付き風防になる予定であった(段付き風防の方が視界が優れ、夜間着陸時と索敵が容易になる利点がある)。
しかし、エンジンのターボチャージャーの不調もあって試作機の域を出ず4機しか生産されなかった。そして量産前に終戦を迎えた。

余談ではあるが、1945年2月にターボチャージャー付である四型2機が北京の南苑飛行場から東京福生(ふっさ)にあった多摩陸軍飛行場(現在のアメリカ空軍横田基地)までを最短3時間15分で飛行。平均速度700km/hをたたき出した(偏西風に乗ったことが要因)。 
ちなみに、北京~東京福生(ふっさ)間は実飛行距離で2250kmあったが、多摩陸軍飛行場に着陸時、燃料にまだ余裕が残っていたという。特に胴体前部の燃料タンクはまだ満タンだったそうである。

1944年6月、風防を段付き型に戻し、機種に20㎜機関砲を装備した防空戦闘機型の三型乙が登場。続いて37㎜砲を斜め銃として追加した三型乙+丙も開発された。
しかし主要敵であるB-29が高高度爆撃から中高度爆撃に戦術を変更。さらに硫黄島が陥落してP-51がB-29の護衛をするようになると性能を生かせなくなり、次第に戦闘機としては使われなくなっていった。

末期の沖縄戦には極小数機が特攻機として使用されている。

最高速度について

三型の記録した630km/hは日本陸軍実用機中最速である。だがあくまで実戦に投入された機体の公式試験記録の中では最速という事であり、実用機や実験機には百式より速い機体もあった。

実用機では非公式ながら「四式戦闘機」量産型が650~660km/hの速度を出したとされる。
海軍では艦上偵察機「彩雲」の試作機が635~639km/hの最高速度を記録している。
実験機も含めると陸軍の速度研究機「研三」の記録した699.9km/hが日本機最速である。

百式司偵も上述の推力式単排気管の採用に加え、「機体表面を磨く」「アンテナを切断する」「翼端を切り詰める」などして空気抵抗を減らす事で、実用機は試験機に比べ10~20km/hほど速度が向上したという証言がある。

武装について

後部座席には7.7mm機銃(イギリス製ルイス機銃のコピー)を搭載することも可能である。
だが偵察機として何より重要なのは高速であり、
取り外すべき重量物の筆頭として、真っ先に降ろされる事も多かったようだ。

もちろん、迎撃機として改造された三型乙などは機首に20㎜機銃を装備した。

戦後の百式司偵

松本零士の百式司偵

主役になる事は少ないものの、脇役としてたびたび漫画に登場している。
ただし、当時の日本軍の象徴として、

『エンジン不調で撃墜される』
『生還の見込みのない囮作戦に使われる』
『待ち伏せされて、コマに描かれる事もなく撃墜』

などの不憫な扱いをされる事が多い。

現存機

世界唯一の現存機(三型甲)が英国空軍博物館コスフォード館に展示保存されており保存状態も良好である。この機は元々マレーの第一野戦補充飛行隊偵察隊所属で終戦時にイギリス軍に引き渡されたものである。博物館収蔵の後にレストアする際、設計製造元の三菱重工から多額の寄付金が寄せられた(修復費用は6万ポンド計上されたが、その半分を三菱重工が負担)。現在に至っても保存状態は良好である。

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