概要
ドイツ航空省の、
- 3座
- 視界良好
- エンジン単発
な偵察機が欲しいという要求に対して、フォッケウルフ社が出した回答はこちら。
双胴機の中央部に、リヒャルト・フォークト博士の左右非対称のあんちくしょうと同じく全面ガラス張りのキャビンを取り付けた構造の機体である。
(飽くまで競合製品と比べれば)比較的まともな外見であるが、それでも正直かなりキモい見た目の機体である。何より航空省の要求の一つのエンジン単発という項目は盛大に無視された。
しかも航続距離や最高速度、運動性などの基本スペックに関しては競作の方が上だったともいう。何を言っているのかわからないと思うが編集者にも全く分からない(まあ運動性に関してはあれは曲がりなりにも身軽な単発機ゆえ、分からないでもないが)。
しかし、
- フォッケウルフの政治力
- 汎用性ではFw189の方が上
- 「もしもの時」の生存性(双発故に、仮に片方のエンジンが故障もしくは破壊されたとしてもなんとか飛行を続けられる)
という点で、採用されたのはFw189の方だった。
決してB&Vの方の外見があまりにもキモかったからこちらの方を採用した…ということではないはずだ、多分。
…そうだよね?
ドイツでの愛称は「Uhu(ウーフー)」(ワシミミズク)、或いは「Eule(オイレ)」(フクロウ目の鳥類)。
一方、ソ連軍からは「空飛ぶ額縁」というニックネームで呼ばれた。
いちおうソビエトでも・・・
ソビエトでもFw189によく似た偵察機、Su-12(旧)が開発されている。
1943年には完成したが、あまり役に立つ機ではなかったので重視はされず、またエンジンも不調続きだったので後は一顧だにされなかった。
1947年、エンジンを換装して制式採用されたものの、使い勝手の悪いことには変わらなかった。結果として『わざわざ生産中の機を脇にのけてまで作る機体ではない』とされ、それならばとチェコスロバキアに生産が提案された。だがチェコスロバキアだってもっと高度な機を作りたかったらしく、拒否されてしまった。
第一、その頃にはジェットエンジンが実用化されており、どう考えてもレシプロ駆動の鈍足な偵察機など、作る価値は無かったのだった。
発展
なお、この機は直協機としての性格も持ち合わせて設計されていたが、さらに専門的な攻撃機を設計する計画もあった。(いちおうFw189は自衛用以上の機銃や爆弾も積める)
Hs129の競合として装甲化し、出品された機がそうなのだが、ただでさえ低い性能が悪くなったせいか不採用となった。
関連イラスト
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Bv141(競合製品)