概要
1923年10月23日、製造担当のハインリヒ・フォッケ、テストパイロットのゲオルグ・ウルフを中心にブレーメンでブレーメン航空機製造株式会社として発足し、24年1月にフォッケウルフに改称した。
発足当初は成功作に恵まれず、27年にはゲオルグ・ウルフが事故死するなど不遇な時代が続いたが、31年にクルト・タンクが入社したことで風向きが変わることになった。
タンクは技術部長として設計全般の責任者となり、Fw44練習機を皮切りにFw200旅客機(のち爆撃機)、Fw189偵察機などの採用によって経営を上向かせることに成功した。
第二次世界大戦中はタンクが理想とした「過酷な戦場に耐える軍馬のような戦闘機」Fw190、後にタンクの名前からとられたTa152を開発し主要航空機メーカーとして名をはせた。
大戦後はグライダーや練習機を製造していたが、1963年にヴェーザー航空機製造有限会社と合併し合同航空技術工場となり旅客機の製造を開始、1965年にはハインケル航空機製造会社を吸収合併、1980年にメッサーシュミットとブローム・ウント・フォスの後身であるメッサーシュミット・ベルコウ・ブロームに吸収された。
フォッケ・アハゲリス社
一方創始者のひとりであるハインリヒ・フォッケは1936年に株主より退職を強要された(ナチス政府が政治的に信用できないと判断した説がある)。フォッケはテストパイロットだったゲルト・アハゲリスと共同でフォッケ・アハゲリスを設立し、ヘリコプターやオートジャイロの開発を行っていく。
主な製品
Fw56練習機
Fw61ヘリコプター
Fw200旅客機→爆撃機
Fw189偵察機