カプローニ社
1911年に同国産初の実用航空機を製造した事で知られる。
第一次世界大戦中は連合国向けの爆撃機や輸送機の生産で大躍進。
1930年代には船舶や自動車向けエンジン製造などの多角化に成功し、社名を「ソチェタ・イタリアーナ・カプロニ」に改称。
しかし第二次世界大戦頃より同社製の航空機は次第にフィアットやマッキといった他社と比して時代遅れとなってゆき、1950年頃に解散。
子会社のカプロニ・ヴィッゾーラ社のみが「カプローニ」の名を継いでオートバイ生産に携わっていたが、1983年にアグスタ社に吸収合併された。
主な生産航空機
- 三発三葉爆撃機「カプロニ Ca.4」(メイン画像)
- 大型試作飛行艇「カプロニ Ca.60 トランスアエロ」
- 「カプロニ Ca.309 ギブリ」
- モータージェット機「カプロニ・カンピニ N.1」
創業者ジャンニ・カプローニ
(1886年7月3日~1957年10月27日)
オーストリア=ハンガリー帝国南チロル(現在のイタリアのトレンティーノ=アルト・アディジェ州)出身。
ミュンヘン工科大学で土木工学を、リエージュ大学で電気工学をそれぞれ学んだ後に航空工学に転向。
上述のカプローニ社を創業以降航空機の製造設計に携わる事となった。
また戦間期にはタリエド伯の称号も授与されている。
ちなみに彼の孫にあたる人物は日本のスタジオジブリ作品の愛好者とされる。
特に地元イタリアが舞台となった『紅の豚』の観覧後にカプローニ社の歴史資料を監督の宮崎駿の元に贈り、これが後にジャンニが登場する漫画・アニメ映画『風立ちぬ』の制作に活用されたともいわれている。
『風立ちぬ』のカプローニ伯爵(メイン画像)
CV.野村萬斎
作中で登場するのは専ら二郎の夢の中での想像の産物であるため、全体を通して日本語を話す。
二郎に対して「設計はセンスだ」、「創造的人生の持ち時間は10年だ」等の激励の言葉を贈り、飛行機作りの醍醐味や難しさ、人生で何かに注力できる時間の使い方などを教える。
宮崎氏は、このカプローニを結果として二郎を「夢」という修羅の道に誘うある意味で悪魔(メフィストフェレス)のような役目を担うよう設定したとしている。
また原作漫画においては「カプロニー」という名で登場しており、当初から人間の顔で描かれている(二郎などその他の人物は、一部を除いて鼻が豚のようになっている)。