日本海軍が第二次世界大戦中に開発した偵察機。
開発は空技廠※1。
胴体内に液冷エンジン「アツタ」を二つ並列に並べた双子エンジン(※2)の「ハ70」(離昇3400馬力※3)を載せており、延長軸で一つのプロペラを回すという野心的な機体設計だった。
同じ構造のHe119を参考に開発が進められたが、その特殊な設計のため開発は難航し、一時は開発中止になりかけた。
「ジェット機への改修が最も容易である」との理由で開発続行を認められたが、二基並列配置のエンジンが近すぎてエンジン室内で過熱による火災が起きるなどして(アツタのライセンス元であるDB601を双子エンジンにしたDB606でも、二基のエンジンが近すぎて火災が多かった。He177も参照)、とてもまともにテストできる状態ではなかった。
ジェットエンジンへの改修方法は『翼にエンジンを懸架する説』と『胴体内に搭載する説』があるものの、ジェット化計画自体が開発中止を免れるための方便に過ぎなかったとも言われている。
※1:空技廠は本来海軍の研究機関であったが、実験機や研究機だけでなく、実用機の開発にも携わっており、当時の日本の工業水準からすると「凝りすぎ」な設計に走る失敗を何度か犯している。
※2:ロールス・ロイスやダイムラー・ベンツなど欧州の名だたるエンジンメーカーも当時双子エンジンを開発しているが、構造の複雑化などから搭載機の大半が失敗作に終わるか、一時は開発失敗かという瀬戸際に追い込まれるかしてしまっている。
※3:DB601の改良型であるDB605の双子エンジン版であるDB610でも2910馬力に制限して使用されており、アツタ32型の離昇馬力が1400馬力であり、2基でも2800馬力である。3400馬力という無理な出力強化が不調の一因だったとも。