本項では1.と2.をそれぞれ解説する。
彩雲(雲)
彩雲(軍用機)
すらっとした優美なスタイルが特徴。
日本海軍は大正時代に攻撃機を三座(3人乗り)化した際に偵察機を兼任するようになったため、専用の艦上偵察機が開発されることはなく戦略偵察は陸軍の九七式司令部偵察機をもとにした九八式陸上偵察機などが請け負っていた。九七式艦上偵察機という機体が試作されたこともあったが、九七式艦上攻撃機が予想以上の高性能だったため量産には至らなかった。
しかし広大な洋上を高速で偵察する機体が必要となり、戦前より実用機試製計画番号N50の試作を命じられ研究を行っていた中島飛行機に試作発注を行った。
要求性能は速度は高度6000メートルで最大648km/h、航続力は正規で3700kmというものだった。(彩雲の開発に参加した内藤子生氏によるとN50は1000馬力級の空冷エンジンを串形に配置、歯車と延長軸で両翼のプロペラを回す構想で研究が進められていたという。)
大戦中に海軍からN50に誉エンジンを採用した案が提示され、昭和17年6月に試作が開始され、昭和18年5月には初飛行を行った。
艦上偵察機である彩雲には発艦を容易にするべく大型のプロペラを採用するなどの工夫がなされた。オイルクーラーが斜めに設置されているのは中島飛行機が雷撃機への転用を考慮したことによる。
空気抵抗を少なくし高速を出すため、胴体の正面面積は可能な限り小さくされた。
厚板構造により鋲数を削減することができ工数を減らすことにも成功した。(鋲数は天山では22万本、彩雲では10万本。)
実戦においては日本海軍の空母運用方針の変更に伴い陸上偵察機として運用された。
メジュロ環礁への偵察に向かった際、追撃してきたアメリカ軍のグラマンF6F戦闘機から逃げ切った際に発したという「我に追いつくグラマン無し(「敵機無し」とも)」の電文はその高速性能を知らしめる逸話になっている。ちなみにこの電文を発した搭乗員は帰還後に「余計な電文を打つな」と叱られたといわれている。
大戦末期には編隊誘導や戦果確認に従事し、第三四三航空隊でも運用されていた。
登場作品
「晴天365日」、「海の花」などに登場。
艦上偵察機として登場。本作の艦上偵察機は対潜攻撃機として運用されており、航空爆雷を搭載している。
陣形不利を回避できる偵察機として重宝されている。
東カロリン航空隊仕様と第三四三航空隊仕様も実装されている。