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スカイレイダーとは編集

アメリカ合衆国ダグラス社の開発した攻撃機急降下爆撃機雷撃機の性質を併せ持った攻撃機で、開発は1943年から開始された。太平洋戦争には間に合わなかったが、朝鮮戦争ベトナム戦争に参加し、3tを超える搭載量や戦闘機なみの運動性を武器に戦い抜いた。様々な戦歴を持ち、ジェット戦闘機の撃墜記録もある。愛称は「スカイレイダー」。


パイロット達からは非常に信頼され、様々な名前を頂戴している。

「フライング・ダンプトラック(豊富な搭載力から)」やら「エイブルドッグ(旧フォネティックコードから)」等があるが、一番親しみを込められたのは「スパッド(頑丈で信頼のおけたフランス戦闘機から)」なのだとか。


様々な戦歴があり、朝鮮戦争ではダムを「雷撃」し、ベトナム戦争ではジェット戦闘機を撃墜した事もある。(しかも2回も)


また、A-1はかなりの大型機でもある。単発単座のレシプロエンジン機としては最大クラスの寸法であり、寸法は全長11m・横幅15mにも及ぶ。これは艦上攻撃機としては標準的なサイズ(天山TBDとほぼ同サイズで、TBFの12mと16mより小さい)であるが、同世代の艦攻達は三座が普通である。単座機としては零戦が9mと12m、F6Fで10mと13mである事から比べてもかなり大きい。目立たないのは、単純に当時の主力ジェット戦闘機が更に大きいからである(19mと12m)。ただし全長では倍近くの差を付けられているものの、全幅ではA-1が3m大きい。

やはりA-1は最大クラスの単発単座レシプロ機なのである。


急降下爆撃機+雷撃機=?編集

1943年、アメリカ海軍急降下爆撃機雷撃機の性質を併せ持った、新型攻撃機の開発に着手する。これは技術が発達するに従い、艦船の防御力も高くなって急降下爆撃機用の軽量な爆弾ではもはや通用しなくなり、また雷撃機にも小さな弱点を突く雷撃が求められるようになり、より機敏に動ける性能が要求された。両者に求められる性能が近づいてきたのだ。


この問題に対する回答として、両方の性能を兼ね備える単座の攻撃機開発が求められた。

様々なメーカーが競合するなか、開発作業を受注したのはダグラス社である。


『提出期限は明日の朝!』編集

元々、ダグラス社はSB2Dという艦上攻撃機を開発していた。これは開発時の海軍の横やりが多くて設計は難航。完成した機体も重量過大で、いいとこなしの機体だった(=わざわざ買いかえる程の機体ではなかった)。


今回ダグラス社は改良を加えたBTD-1で臨んだが、これも性能は凡庸。このままでは他社に受注を取られる、と考えた設計主任エド・ハイネマンは、今までの設計を破棄し、開発予算や人員を新たに提出する新型機にふり分ける事を提案した。それに対する海軍の回答は、『了承する。ただし、設計図は明日の朝までに提出しろ』という無茶ぶりだった。


設計主任エド・ハイネマンはホテルを手配させ、超特急で作業を開始した。この設計は今までのノウハウや実際の取材内容を踏まえ、あらかじめ大体の概念が頭にあった上での作業だった。それでも「明日の朝」というのは無茶もいいところであり、ハイネマンと部下2人はホテルに籠って必死の作業にかかった。


翌朝早く、ハイネマンは印刷所のシャッターに叫び、店主を叩き起こしていた。驚くなかれ、本当に設計図は完成したのだった。(ただし、かなり大まかな設計図ではあったが)


新たな困難、そして砲火の洗礼。編集

こうして超人的な努力により提出されたBT2Dだったが、今度は『9か月で試作機を完成させろ!』との無理難題が押し付けられる。ダグラス社とハイネマンはここでも奮闘し、1945年には本当に試作機が完成した。1945年3月18日、BT2Dは初飛行に成功。これを待っていたアメリカ海軍は、大急ぎで500機を発注した。


・・・が、8月15日には太平洋戦争が終結。

海軍はとたんにやる気を失い、配備開始は1946年12月にずれ込み、発注も277機にまで減らされてしまった。1946年には命名規則が変更されてAD-1「スカイレイダー」となった。


1950年、朝鮮戦争開戦。

海軍海兵隊に配備されたスカイレイダーも駆り出された。スカイレイダーは戦闘爆撃機として使われ、国連軍の勝利に貢献した。最も珍しい戦果は1951年5月2日、海軍第195攻撃飛行隊(VA-195)によるダム攻撃である。


ザ・ダムバスターズ!編集

日本統治時代に作られた華川(ファチョン)ダムは強固な構造物で、周辺の建物が消し飛ぶほどの激しい空襲を何度も受けたにもかかわらず、ほとんど損害を受けずに無傷だった。


AD-4(ADの改良型)による空襲も、一度で成功したわけではない。一度は2000ポンド(908kg)爆弾で攻撃したが、被害は軽微だった。そして誰が考えたのか魚雷が登場し、こうして空前絶後・前代未聞のダムへの雷撃が実行される事になったのである。魚雷の航行深度は0にセットされ、湖底に突っ込まないように工夫されていた。こうしてAD-4は本来の武装である魚雷を搭載し、攻撃へ出撃したのである。


攻撃は見事に成功した。ダムの水門は一気に破壊され、水が勢いよく溢れ出たという。第195攻撃飛行隊(VA-195)が『ダム・バスターズ』と呼ばれるようになった瞬間である。この攻撃は「史上最後の航空機による雷撃」となった。この第195攻撃飛行隊は第7艦隊第5空母航空団第195戦闘攻撃飛行隊に改変されながらも「ダムバスターズ」の名を今日に受け継いでいる。


ちなみにこの時の攻撃ではダム本体には大きな損傷はなく、華川ダムは元通りに修復されて健在である(このダムを作った日本人技師はすごい)。他にも大きな搭載量を買われ、スカイレイダーは『台所以外に運べないものは無い』と言われていた。そこでジョークが好きなアメリカ兵は本当に流し台を搭載して爆弾と一緒に投下。本当に実行してしまうのであった。


ベトナムの空で編集

軍歴の最後はベトナム戦争で終わる。この戦争では主に、ヘリボーン部隊や捜索救難ヘリコプターの直掩に活躍した。当時すでに旧式で低速だったスカイレイダーだったが、同じく速度の遅いヘリコプターの護衛なら出来ると考えられたのだ。大きな搭載量はここでも役立った。まさに『弁慶の七つ道具』とばかりに爆弾を満載し、対地支援に飛び割る雄姿は多くの兵士たちの目に焼きついた。


防備の弱いヘリコプターの露払いに活躍し、爆弾投下・機銃掃射なしの低空飛行、つまり攻撃の「ふり」だけでベトコンを追い散らしたこともある。弾薬切れなうえ、ヘリ到着が遅れていた為の時間稼ぎだったが、この策は見事図にあたり、とうとうこれだけでヘリ到着までもたせてしまった。


こうした状況に近い映画『イントルーダー -怒りの翼-』のクライマックスはまさにスカイレイダーの独擅場である。(どう考えても『スカイレイダー -救いの翼-』の間違いじゃなかろうか)


『イントルーダー -怒りの翼-』について編集

題名から想像される通り、本来はA-6が主役の映画である。クライマックスでは白昼堂々出撃し、撃墜されてしまうのだが、その救出に現れるのがスカイレイダー(とHH-3ヘリ)なのだ。ここで登場するスカイレイダーは機銃掃射・爆弾投下でベトコンの攻撃を食い止め、最後には増漕を投下して辺りを焼き払う。スカイレイダーのシーンだけでも、是非とも観てほしい映画である。


ちなみに編集

海軍では迷彩塗装をテストだけで終わらせているため、本当なら救出に登場した機は空軍所属ということになる。が、そこは配慮があったのか、所属名は写していない。というかそもそも描いてない。


レシプロエンジンの意地編集

「低速なので活躍の場は無い」と思われていたスカイレイダーだったが、対地支援や援護では意外な利点があった。短所のはずの低速が、『低速なので地上の様子を確認しやすかった』と好評だったのだ。この長所は後継のA-10に強く引き継がれ、もちろん救難機の援護にも活躍している。


ただし、低速という事は被弾しやすいという事でもあり、これには防弾版の追加で対応している。A-10では始めから被弾することが前提とされ、良く知られるような重防御で凌いでいる。結局、ベトナム戦争はレシプロ機が戦闘に参加した最後の戦争となった。参加した機体はスカイレイダー以外にダグラスB-26「インベイダー」もあり、スカイレイダーと共に南ベトナム空軍でも使われた。


今度は**だ!編集

朝鮮戦争で見事キッチンシンクを爆弾に括りつけて投下して伝説を作り上げたスカイレイダーだったが、その話には続きがあった。


『ならば、この機体が運べないのはトイレぐらいだろう』という話になり、ジョークに余念のないアメリカ兵は、ダミー信管を取り付けたトイレ(洋式便器)を搭載して本当に投下してしまった。


全部便器


以来、『スカイレイダーの搭載できないものは何も無い』と上書きされて今に至る。

これはある意味バンカーバスター以上に凄いのではないだろうか?


ちなみにさらに後日談があり、嘘か誠か、今度はバスタブを積んで出撃しようとしたところが、上官にバレて未遂に終わったとも。お前ら艦上攻撃機を、ワンルームマンションかなんかと勘違いしてないか?

(なお後継者はある意味「バスタブ」を積んでしまっているが)


もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな編集

戦中を見越して設計されたのにもかかわらず本来なら時代遅れと認識されるのが普通だがむしろ既存の攻撃機や戦闘機より使えるという結果が飛んできたのだ。こんな華々しい戦果を挙げられては上層部も無視できず、一時期は割とガチで再生産が検討されたこともあった


主な派生型編集

XSB2D-1編集

「スカイレイダー」に至る試行錯誤の第一弾。

あちらが3人乗り、こちらが2人乗りである事以外は流星改そっくり。


XBTD-1「デストロイヤー」編集

「スカイレイダー」に至る試行錯誤の第二弾。基本的にはXSB2D-1を一人乗りに改造しただけ。

なので性能もさほど改善せず(むしろムダが出来たせいで相対的に悪くなったものも)、これに不満のあった事が「スカイレイダー」誕生のきっかけになった。


XBT2D-1「ドーントレスⅡ」編集

ハイネマンの一存により、一晩で書き上げた設計図によるBTDの発展型。一気に洗練され、現在「スカイレイダー」と呼ばれてすぐ思い浮かぶスタイルはここで確立される。テスト飛行の結果、マーチン、カーチス、カイザー・フリートウィングによるライバル機のどれよりも性能がよく、トラブルも少なかった事から採用を勝ち取った。


AD-1「スカイレイダー」編集

500機発注され、結局277機が生産。

生産前に海軍命名規則が改正された。具体的にはBTがAに変更され、愛称も制式に「スカイレイダー」へと移り変わった。基本的にはXTB2Dと変わりないが、実戦むきに細かな修正も入る。


AD-2「スカイレイダー」編集

156機生産。

主にエンジン・機体構造が強化され、燃料タンクを大型化。


AD-3「スカイレイダー」編集

125機生産。

AD-2のマイナーチェンジで、車輪などを強化。


AD-4「スカイレイダー」編集

1051機生産。

大きな改良を伴った型で、エンジン強化・コクピット装備の充実に取り掛かる。

主翼の20mm機銃は2挺増設されて計4挺に、朝鮮戦争の戦訓によりコクピットも防弾化された。


核兵器対応のAD-4B、寒冷地用のAD-4L、3人乗りになった夜間用のAD-4Nなども作られた。

フランスに輸出されたことも有名で、のちにアメリカで民間登録されたスカイレイダーの多くもフランス帰りなのだとか。


AD-5(A-1E)「スカイレイダー」編集

212機生産。

少し胴体を拡大し、コクピットが並列複座(横一列2人乗り)となった。

攻撃任務以外にも様々な用途に使える汎用機として造られ、人員輸送・貨物輸送・患者輸送・標的曳航なども網羅する。


AD-5もADシリーズの一種ではあるが、まるで別モノのように扱われる変わり種。

南ベトナム空軍に供与された最初のスカイレイダーもこの型で、「実戦でベトナム人パイロットを育成する」という建前のもと、アメリカ人パイロット同乗で(それどころか操縦することも多かったのだとか)運用されている。のちに単座型も供給。


AD-5Q(EA-1F)「スカイレイダー」編集

AD-5Nから改造された電子戦機で、高度な電子機器により電子偵察(ELINT)や電子妨害(ECM)にも対応する。


AD-5N(A-1G)「スカイレイダー」編集

239機生産。

3人乗りの夜間用攻撃機。コクピット左に操縦士、右に航法・レーダー手、後席にレーダー専任員が搭乗する。対潜任務も考えられており、ソノブイ・爆雷なども搭載可能。搭載力は2tほどに低下。


AD-6(A-1H)「スカイレイダー」編集

713機生産。

AD-4Bの改良型で、信頼性が大いに向上。スカイレイダーの決定版ともいえる性能を誇り、のちに空軍でも使われた。


AD-7(A-1J)「スカイレイダー」編集

72機生産。

AD-6のマイナーチェンジで、外見では見分けが付かない。

機体構造はさらに強化され、空中給油も可能になった。


レシプロ戦士の意気地編集

A-1E以降はB-26K「カウンター・インベーダー」やT-28「トロージャン」と並んでベトナム戦争にも投入された。


どうしてわざわざ旧式のレシプロ機を引っ張り出したのかというと、(主に対ソビエト用に)『私たちはベトナムに本気を出して介入してる訳ではありませんよ』と言い訳するためだったのだが、しかしこれは上空に長時間張り付いて援護し続けたり、また低空を低速で移動する救難ヘリコプターの護衛に使うには、逆に都合がよかった。


レシプロエンジンは当時としても既に旧式そのものだったが、燃費はターボジェットエンジンの比ではなく、故障もすでに「出涸らし」ていて少なく、整備の要領も確立していた。さらに燃料タンクも胴体内の一つだけなので被弾にも強く、防弾もしっかりなされていた。このように、第二次世界大戦時代の古強者は、性能よりも使い勝手で信頼を勝ち取ったのである。


現在はA-10の後継OA-Xとして、A-29の導入が進められている。

これは現在の戦場が、対戦車戦闘よりも対歩兵戦闘が重視されるようになったせいでもあるのだが、同時に「対戦車用のA-10を歩兵の援護に使うには過剰すぎ」とも感じられているようなのだ。


確かにGAU-8MANPADS各種に比べても射程に劣るため、安全に使える局面は限られてくるし、そもそもが対戦車用で強力すぎる。流れ弾の被害を考えれば、使うに使えない。チタンのバスタブ型装甲も、そうなると過剰で重く、総合的には不必要な防御力だと考えることもできるだろう。第一、これらのために機体は大きく、よってマトも大きい。また、すでに新規生産の道は閉ざされており、経年劣化で整備費用が跳ね上がることも忘れてはならない。


「もっと簡便で、使い勝手がよく、できれば経済的な機体を」

そう考えれば、A-29導入も好意的に受け止めることも出来るだろう。

アメリカでさえ軍事費削減に追われる昨今、OV-10G+のようにテクノロジーにむしろ逆行するような事例も聞かれるようになった現在、再び対地直協機として注目されたプロペラ機。

A-1の血統はA-10に引き継がれ、A-29にして再びプロペラ機に戻ってきたのである。

『おかえり、スカイレイダー!』

と、言いたいところであるが、残念ながらOA-Xは中止となり、SOCOMが装監視機として少数導入予定のみとなった。


関連タグ編集

攻撃機

アメリカ軍

フェアリーソードフィッシュ:第二次世界大戦終結まで運用されたイギリス海軍の万能雷撃機。汎用性や操作性に優れ、複葉機の最後を飾った非全金属製軍用機の傑作機。


フェアリーバラクーダ:ソードフィッシュの実質的後継。1937年にして艦爆と艦攻の統合を図った野心作だったが、鈍重すぎて実用性に欠け最終的にはTBFに取って代わられた。マーリンを積んだ改良型は艦爆や対潜機として一応成功した。寸法は12m✕15mとよく似ている(ついでにスカイレイダー並に重い)。しかもこいつが退役した後もソードフィッシュは使われ続けた


流星改:旧日本海軍が開発した最後の艦上攻撃機。A-1と同じく、艦上爆撃機と艦上攻撃機を兼ねることを目的とした。従来の艦爆・艦攻に比べ傑出した性能を持っていたが、終戦間際だったためほとんど活躍することができなかった。寸法も全長11.5m、全幅14.4mとA-1とほぼ同じだが重さは1t近く軽い。


A-4:同じくハイネマンが設計したジェット攻撃機。A-1の2/3位のサイズだが搭載能力は更に優れる。空軍にも配備された。

A-7:A-4の海軍における後継。

A-10:A-4の空軍における後継。

A-29:A-10のさらなる後継で、どちらかというとA-1に近い。プロペラつながり。


参考資料編集

文林道 世界の傑作機 No.178「ダグラスA-1スカイレイダー」

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