A-4
えーよん
A-4とは
A-4とは、1952年にアメリカ海軍の要求に応えて開発された艦上攻撃機である。
要求仕様は双発エンジンの中型爆撃機を想定して出されていたようだが、
ダグラス社の提出した開発プランでは
・単発
・小型/軽量の攻撃機
という特徴を備えていた。
設計主任エド・ハイネマンはいつも『いかに小型・軽量に設計するか』という事について考えており、A-4にも『軽量・小型・空力的洗練を追求すれば自ずと高性能が得られる』というコンセプトが貫かれている。
中でも特徴的なのは小型・旧式空母の昇降エレベータにも収まる機体サイズで、
これは大型化を続ける当時のアメリカ機の中にあってまったくの異色とも言える。
また、重量も設計の工夫を存分に巡らしてあり、要求仕様の半分をも下回る。
デルタ翼を採用しており、軽量と相まって意外な格闘戦性能の高さを誇る。
この事は『ハイネマンのホットロッド(高性能カスタム)』という異名でも表されている。
加速や旋回性能にも優れており、海軍のアドバーサリー部隊で使われた事もある。
もちろん維持・整備も簡単に行えるように工夫されており、アメリカ軍で余剰化した機体を再生・改修の上で輸出した例も多い。
スカイホークの価値
1950年代の海軍事情と小型軽量
海軍は当時、年毎に軍用機が高額になり続けることに危機感をおぼえていたが、エド・ハイネマンより小型で安価な戦闘機を提案され、それなら試しにと発注したのがA-4の始まりである。それが攻撃機になったのは、その場で海軍側から「それは攻撃機ならどうなるか」と打診があったからで、もちろん核兵器を搭載することが言外に要求されていた。当時、核兵器は実用化されていたが、肝心の搭載機に手ごろな機が無かったのも一因である。
そういうわけで、A-4には大型で重い核爆弾搭載を求められたわけだが、一番象徴的なのが「降着装置(車輪)が長い」ということである。大きい核爆弾を、一番強度の高い位置(つまり胴体下)にすえつけるため、あえて車輪を高くし、また低翼配置にすることによって機体構造を軽量・単純化することができた。もちろん強度も高い。
主翼が高く、考えられる限りあらゆる兵装を搭載できる余地があるということは、後の発展性にも大きくかかわった。なにせ一番かさばるのが核爆弾だったので、だったら搭載できない兵装は何も無いことになる。
また、A-4は小型で、機内に兵装を搭載する余裕がないということは、爆弾の刷新という決断も呼び込んだ。エド・ハイネマンは他にも空気抵抗の少ない形状の爆弾も提案していたのだ。こうして刷新された爆弾は「Mk.80シリーズ」と呼ばれ、これは現在アメリカで使用されている標準型航空爆弾である。
「スカイホーク」あらわる
こうして完成したのが実戦型A-4Bで、1956年3月に初飛行を遂げた。A-4Bは当時並行して配備が始まったFJ-4Bと比べても甲乙つけがたいほどの飛行性能を発揮し、そのうえFJ-4Bよりも小型なので同じスペースでも多く収容できた。さらに、ボルトを6本外すだけでエンジンの取り出しが可能という抜群の整備性も評価され、結果的にはA-4が主力を勝ち取った。
だが、簡単なレーダーも持たないA-4Bの能力には、当初から疑問符がつくものでもあった。そこで低空飛行補助や測距に使えるレーダーを装備し、爆撃コンピュータを搭載して能力を強化したA-4Cが開発された。だがこれでも全天候能力には程遠く、やはり小柄なA-4には無理な相談だったようである。本格的な対応にはA-6が開発されるまで待たねばならない。
一大転身と新たなる道
こうして海軍より要求されるのが、全天候能力を備えたVAX(新型艦上攻撃機計画)で、こちらは国内各メーカーに呼びかけた競争入札で行われる。結果としてA2F(当時)が採用されることになり、またターボファンエンジンを採用した新型攻撃機計画もA-7に決まった。そのころにはエンジンをJ-52に換装し、主翼ハードポイントも増設して能力を高めたA-4Eが登場していたが、新型機が続々と登場するのを受けて調達は500機で打ち切ることがマクナマラ長官より言明された。
そこでハイネマンはA-4を練習機として使う事を提案し、海軍もこれを了承。こうしてA-4Eの最後の2機はTA-4Eとして生まれ変わった。採用にあたってエンジンもパワーアップされ、TA-4Fと新しい型番も与えられる。TA-4Fは241機生産され、のちに装備を簡素化したTA-4Jも277機生み出された。
戦火のなかで
ベトナム戦争が勃発し、当時の主力攻撃機だったA-4はベトナムで実戦に駆り出される。この戦争では核兵器などもちろんお呼びではなく、戦術任務を主任務としたA-4C/Eが活躍する。
だが、戦争が長引いていくにつれて損害は積み重なり、ついには実戦機数が不足してしまう。そこで考えられたのは練習機から攻撃機への改造で、TA-4Fの機首部分を単座型仕様に換装してA-4Fとなった。前述のとおり、A-4Fは新型エンジンそのままに46機が改造され、また生産ラインも復活させて新造機も作られた。(TA-4納入が残っていたため、生産ラインはそのまま稼働していた)
その後のA-4
ご存知のとおり、ベトナム戦争では最新鋭機が不向きな格闘戦に持ち込まれ、性能では格下の戦闘機に撃墜されるという醜態をさらした海軍は、ここに格闘戦の意義を見直し、再び戦技研究の必要性を理解していた。こうして設立されたのがNFWS(海軍戦闘機兵器学校)で、通称『トップガン』としてよく知られる存在である。
ここでの敵機役にはもちろん軽快で小型な機が選ばれ、F-5と共にA-4もアドバーサリー(敵対者の意。この場合は教官のこと)機として選ばれた。NFWSにはA-4Fが充てられ、訓練用なので武装の類は一切排除、さらに飛行性能を高めるために必要最低限な無線機や機材以外はすべて取り外している。あまりに過激な軽量化がなされているため、整備員には「空とぶエンジン」とまで呼ばれていた。
こうして専用にチューンアップされたA-4は、教官の技量も相まって、F-14や最新鋭のF/A-18すら手玉に取る性能を見せ付けた。もともと低速度の格闘戦は得意なうえ、極限まで軽量化されたA-4にとって、高性能だが大きく重い戦闘機は得意な相手だった。J52-P-408装備のA-4Fは攻撃機という分類にもかかわらず、実際にはかなり手強い機なので『スーパーフォックス』というあだ名を頂戴するほどだった。
また、海軍のデモンストレーション飛行隊『ブルーエンジェルス』でも採用され、軽快な運動性を武器に1974~1986年まで活躍した。こちらも後継はF/A-18である。
派生形
攻撃機
A-4A(A4D-1)
最初の20機はXA4D-1とYA4-D1で、シリーズ最初の試作機・先行量産型となり、テスト・訓練に使われた。続くA4D-1(のちにA-4A)は146機生産。
レーダーは無く、軽量級ながらも核兵器を搭載可能。
A-4C(A4D-2N)
A-4Bにレーダーを追加し、夜間攻撃能力を追加したもの。だが、小型のA-4では大きなレーダーを搭載できず、実際には限定的な能力である。
(『夜間に爆撃出来ないこともない』レベルだとか)
兵器搭載力・本格的な全天候攻撃能力ではA-6に譲る。ともかく、これで戦術用途に対応できるようになり、638機製造された。アルゼンチン空軍にも採用された。
海軍予備役部隊のための能力向上型(A-4F相当)としてA-4Lが100機、シンガポール向けのA-4Sとして40機、マレーシアにはA-4C・A-4L含めて40機がA-4PTMに改造されている。
A-4Sはのちにエンジンを換装(F404-100Dエンジン)し、A-4SUに発展している。現在はいずれも退役した。
練習機
TA-4F
A-4Fの機首を延長した複座型。攻撃能力を残してあり、ベトナム戦争では実戦にも参加している。のちにTA-4JやA-4F、OA-4Mにも改造。
FAC機
OA-4M
海兵隊向けにTA-4Jを基に23機が改造されたFAC(Forward Air Control:前線空中管制)機で、装備の一部はA-4Mに準じたものにされている。目標指示にロケット弾を使うのは空軍と同様だが、こちらはLAU-10ポッドに5インチ弾「ズーニ」を装填して使うのが特徴。
「老兵、未だ死なず」
アメリカでは第一線での運用が終了しても練習機として長く使われ続けたが、それも1990年代に運用を終了し、T-45ゴスホークに置き換えられた。同じく練習機として長く運用していたイスラエルとシンガポールでも2010年代に最後の飛行隊が解散され、その歴史にピリオドを打つことになった。この後継にはイタリアのM-346が充てられることになる。
しかし驚いたことに、ブラジルとアルゼンチンではいまだ現役として飛行を続けている。
後継機が2014年にすべて退役したこととは対照的である。これだけを示すと凄い事のようにも思われるが、実際にはかなり騙し騙し運用しているようである。
小柄なサイズに特徴的な尾翼つきデルタ翼を備え、搭載力にも優れている上に、ベトナム戦争や第四次中東戦争、フォークランド紛争で実績を積み上げた古参兵も、寄る年波には勝てそうにないだろう。だが、民間に払い下げられた機体は、空軍での訓練を支援する民間軍事会社(空中射撃用標的の曳航など)で運用されたり、各地の保存会で記念のために飛行状態に置かれたりと、各々の「第二の人生」を歩み始めている。
また、ハイネマンはゼネラルダイナミクスで開発の監督を務めたこともあり、直接の後継ではないが、A-4の血脈はそちらにみごと継承されたと言う事もできる。
もちろん、その機もベストセラーの一翼として世界の空軍で採用される戦闘機となっている。
その機はF-16。もはや評判を書く必要もない傑作機である。
小柄・軽量で出力にも優れた尾翼つきデルタ翼の血統は、これからも世界中で続いていくのである。